2024/02/11 船堀・新小岩散歩 02 葛西ばやし/東小松川南公園/正徳寺/臼の宮/東小松川三丁目児童遊園/たばこやさん/宝積院

前のページからの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/02/11/183000






◆葛西ばやし

『葛西囃子(かさいばやし)は、祭の際に演奏される音楽で、祭囃子(まつりばやし おはやし)の一つ。神田囃子などをはじめとした現在の東京都およびその周辺の祭囃子の祖。 葛西囃子と言う名称は戦後有志によって保存会が結成されてから付けられたものであり、それまでは特定の呼称を有さず単に「お囃子」と呼ばれていた。ここでは便宜上、金町を中心とした葛飾方面の農村に伝承され江戸の祭礼囃子の源流となった郷土芸能を「葛西囃子」と称する。 葛西囃子には「本所(ほんじょ)囃子」「神田囃子」「住吉囃子」等の支派が多数存在するがこれらはいずれも葛西囃子より派生したものである。なお、現在では「きりばやし」と言う流儀が葛西囃子の代表となっている。 葛西囃子は江戸祭り囃子の代表的存在とされ、神田祭山王祭と言った江戸の天下祭において付祭(つけまつり)の山車(だし)囃子として奉仕する事を常としている。 』
葛西囃子 - Wikipedia

このオブジェに関して調べてみたがどんな経緯で建てられたものなのかわからなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>







◆東小松川南公園



小松川南地区土地区画整理事業記念碑

新しい時代に生きる人々の発意と十年にわたる協力とが
數百年來恋ることなかった田園を
今近代都市の街区に装いを改め
後世に伝えるものであります


和而拓道の碑



文字化を断念。。。。







◆正徳寺








◆臼の宮



 由来は享保二年(1717)将軍徳川吉宗が、当地遊猟の際市川家に立寄り、庭先にあった臼に腰を掛けて休息せられた。
 市川家では吉宗の徳を仰ぎ、この臼を家宝として保存するとともに、裏庭に小祠(しょうし)を建立「臼の宮」としてまつったのが始まりであるという。小祠の中には小さな木札が二枚納められていて、一枚には次のように記されている。
 千時亭保二丁西十二月四日当御将軍右大臣御腰其節此臼江御休足被為遊候臼也
 東小松川村、市川氏久左衛門謹言 この臼は高さ49cm、回り約170cmである。子の由来を記したものとして「徳川実記」「武蔵風土記講」と、神画と和歌の書かれた「四神地名録」がある。

塀の向こうに祠があるようだ。
参考
吉宗伝説 「臼の宮」







◆東小松川三丁目児童遊園







◆たばこやさん

営業していないようだね。
こういうたばこ屋さん見ると撮りたくなるね。







◆宝積院


小詞








続く。
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