24時間勤務アケで、井の頭公園周辺を散歩中に立寄った。
建物自体は何度も来ている場所だ。
ごあいさつ
山本有三 [1887-1974] はその長い生涯の中で、劇作家、小説家、 教育者、 政治家など、多岐にわたって活動しました。 特に戦後は参議院議員を務めるなど、 公的な活動に注力しています。 一方で、 作家としては新たな作品を発表することはほとんどなく、二十年以上にわたり沈黙を続けました。
しかし、 昭和 48(1973)年、 有三は 85歳という老齢に至り、 作家としての新境地とも言える作品「濁流 雑談 近衛文麿」(以下、「濁流」)の連載を開始します。 これは、 有三とは第一高等学校時代の同級生であり、交友の深かった政治家・近衛文麿を題材とした作品でした。
残念ながらほんの序幕を書き終えたところで亡くなり、 未完のまま絶筆となりましたが、完成していれば作家畢生(ひっせい)の大作となったことを予感させます。
令和6 (2024)年は、 有三の没後五十年であり、 また 『濁流』刊行から五十年目という節目の年にあたります。 本展では、 有三の遺作となった 「濁流」を取り上げ、 構想の跡を留める創作ノートなどの資料とともにご紹介します。 作品の舞台としても登場するこの三鷹の邸宅で、「濁流」の世界を味わっていただければ幸いです。
最後に、本企画にご協力いただいた栃木市立文学館、 山本有三ふるさと記念館、 杉並区立郷土博物館、及び関係機関の皆様に、厚く御礼申し上げます。
近衛文麿(このえふみまろ) (1891年10月12日~1945年12月16日)
五摂家筆頭の家柄で、 父は公爵の近衛篤麿(あつまろ)。 明治37(1904)年に襲爵し、当主就任。 42年、第一高等学校英文科に入学。 山本有三と同じクラスになる。45年、東京帝国大学哲学科に入学
したが、わずか一か月後、自らの意志で京都帝国大学法科に転学。 河上肇に学び、 西田幾多郎などから影響を受けた。
大正3年(1914)年には、山本有三らが主宰する第三次「新思潮」にオスカー・ワイルド 「The Soul of Man Under Socialism」 (「社会主義下の人間の魂」)の翻訳を掲載。 同号は発売禁止処分を受ける。 6年、 京大を卒業後、 内務省地方局の見習いとなる。8年、 西園寺公望の随員としてパリ講和会議に出席。
昭和6(1931)年、貴族院副議長、8年同議長に就任。 12年6月、 第一次内閣を組閣。同年7月に勃発した日中戦争の収拾にあたったが功を奏さず、 14年1月に総辞職。 15年7月、第二次内閣を組閣し、 新体制運動を促進。 同年9月、日独伊三国同盟締結。 10月、大政翼賛会設立。 16年7月、 松岡洋祐外相を更迭するために総辞職し、 翌日、 第三次内閣を組閣。 日米交渉をはかったが、 対米関係の行き詰まりを打開できず 10月、総辞職。 以降、 早期終戦を目指して奔走したが実現せず、 20年8月の敗戦を迎える。 終戦後は憲法改正に関わったが、20年12月、 A級戦犯の容疑者として逮捕令が発せられ、逮捕直前に自決。
山本有三と近衛文麿
山本有三と近衛文麿の出会いは、明治42(1909) 年に入学した第一高等学校でした。 有三 21歳、 文麿17歳と、年齢は違えど同じクラスとなった二人は、 当時はさほど親しくなかったといいます。 文麿は学年で一番背が高く目立った存在でしたが、 有三は、公爵である文麿に隔たりを感じ、 あまり自分から接触することはなかったと語っています。
第一高等学校を卒業した後は、ともに東京帝国大学に進学しましたが、文麿はすぐに京都帝国大学に転学。 しかし文麿は、 大正3(1914)年には、 山本有三、 菊池寛、 芥川龍之介、 久米正雄らが発刊した第三次 「新思潮」 *1に寄稿しており、 また、 雑誌の座談会等でも顔を合わせるなど、 二人の交流が途絶えることはありませんでした。 交友関係も次第に深まり、 昭和12 (1937) 年の文麿大命降下 *2 について菊池寛が答えたインタビューでは、文麿は文壇の中では有三と一番懇意である、と語られています。
特に、 昭和 16 年前後から文麿が亡くなるまでの4年ほどの間には濃密な親交を結び、 文麿からいくつかの声明文の執筆が有三に依頼されたほどであったといいます。文麿の自決前夜には、 有三は、 後藤隆之助らと近衛邸に滞在し、 文麿と最後に顔を合わせた面々のうちの一人となっています。
1 ...おもに東大文科生を中心とする文芸同人雑誌。 第一次から第二一次にわたって継承刊行され、 特に第三次 (1914) 第四次 (1916~17) 「新思潮」に加わった同人は「新思潮派」と称される。
2…大日本帝国憲法下で内閣組織の勅命が下ること。
山本有三 没後五十年をむかえて
令和6 (2024)年は、 作家・山本有三の没後五十年にあたる年です。
劇作家、そして小説家であった有三の作品は、人々の心を打つ名作として長きにわたり愛されてきました。 特に代表作である 「路傍の石」 や 「米百俵」 は、 度重なる映画化や舞台化などによって世代を超えて受け入れられ、今も多くの人々に読み継がれています。
戯曲、 小説だけではなく、 有三が子どもたちに良質な本を読ませたいという想いから編んだ 『日本少国民文庫』は、そのうちの一冊である 「君たちはどう生きるか」が、 近年、漫画化されベストセラーとなったこと、 また、 スタジオジブリのアニメーション映画の原点となったことなどから再注目されています。
そのほかにも、日本国憲法の口語化や文化財保護法の制定など、 有三が携わった事業の数々は、 時代を超えて様々な形で受け継がれ、 有三が亡くなって50年の年月が経った今も、 私たちの文化的な生活に寄与しています。
有三の没後五十年にあたり、当館を通して、 多彩な業績を残した山本有三について一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
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三鷹市山本有三記念館 | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団
休館日
基本月曜日のようですが、展示替えなどでお休みになることが多いようだ。
HPで確認してから行ってくださいね!
休館日 | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団
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