2024/10/15 矢ケ崎稲荷神社





文字が隠れてしまっているので、読める範囲で・・・・

この石仏群はもと矢ケ崎村、現在の国領(調布市) 7丁目にあったものをして祀ったものである。
(地蔵尊)
本来は釈迦入寂後、 弥勒仏の出現するまでの無仏の期間ーーーーー
釈加の代わりに六道の衆生を導く菩薩のことである。この仏は子供の死後、賽の河原で苦難を救うという俗説にもとずいて、子供の守護仏として信仰される。
7月24日の縁日を地蔵盆といい、 西国では特に盛ん地蔵像が市内最古の正保寛文年間から多数造立ーーーーー
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藏信仰がさかんになったりした結果にほかならない。



(青面金剛)
鬼病を流行させる神である反面病魔悪鬼を駆逐するーーーーーー
にまつられるその形像は青身での憤怒形として ーーーーーーー
れ、この場合は、上手三また下手棒、右上手輪、下手 ーーーー
執る。 まだ経軌には尊の両わきに二童子と四鬼神と ーーーー
もなると説かれる。中世以降は道教思想も混こうして ーーーー
申信仰の本尊として祭られるにいたった。
なおまた世に「見ざる、言わざる、聞かざるのーーーーーーーー
この庚申の本尊。 山王日枝神社の神使なる猿に関 ーーーーーー
れたりもする。




(庚申待。 お日)
道教の信仰によれば、 人の腹中には三尸(さんし)と称する三匹の虫がいて、 少しの過失をも見のがすことがない。
庚申の晩に人が眠っているすきに体内からぬけ出して天上に上り、 その罪悪を天帝に告げるので人は命を奪われる。
そのためこの夜は眠らずに三尸の昇天を用心し、禁を守るのでこれを守庚申という。
当番(宿)の家に集まり酒宴をはって夜を明かす庚申待は近世、民間の信仰行事として広まったが、これに類するお日待に念仏講や頼母子講があり、 これらの溝の組織は非常に強固なもので日常生活にまでおよび、 互助の役割をはた
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(百万遍念仏)
元来は阿弥陀経などの説にもとずいて、多くは7日間にわたって念仏を唱えること百万の数に達せしめて滅罪や往生を願求する行法で、中国では隋末。唐初に浄土教をひろめた山西省玄中寺の道がこれを実践したと伝えられる。
日本でも平安時代の後半に盛んになった浄土教は道練の影響をうけることが多く、ことにーーーーーの法然上人の浄土教は道練の教学に負ーーーーーー
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全文をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。







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