2024/11/06 西高井戸松庵稲荷神社


『当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡松庵村の条に稲荷祠とあり、「上屋二間二二間半内ニ小祠ヲ置社前ニ鳥居ヲ建村内ノ鎮守ニシテ例祭ハ期日ヲ定メズ」とある。松庵村は万治年間(1658~1660)に松庵という医者が開いたと伝えられているが、詳細は明らかではない。境内入口に元禄三年(1690)11月、同6年の二基の塔があり、前者に「武州野方領松庵新田」と刻まれているので、松庵村は新田にあったことがわかる。しかもこの神社は明治維新の際廃寺となった円光寺(天台宗・江戸八町堀湊町普門院末)の境内にあった。
当社は松庵村の鎮守と中高井戸村の鎮守を昭和9年5月1日に合併して以来、松庵と中高井戸(西高井戸)両地域の鎮守となった。当神社は、元は旧松庵村の鎮守で明治維新の際に廃寺になった天台宗寺院円光寺の境内に祀られていた稲荷神社であった。昭和9年(1934年)に、隣村である中高井戸村の鎮守の稲荷神社を合祀し、以後名称を「西高井戸松庵稲荷神社」と称し、翌10年には社殿を改築し、今日に至っている。
近年町名変更により西高井戸の地名が失われたので、旧西高井戸の氏子が中高井戸村稲荷神社と合祀したことが不明とならないよう配慮し、神前に社号標を建立し由来を示した。
なお、鳥居の左側に狐のミイラを祀った小さな祠がある。また、神社北側には廃寺となった円光寺の住職の墓がある。墓碑には、元禄9年(1696)、享保8年(1723)、元文3年(1738)、宝暦10年(1760)、文化4年(1807)の没年銘がみられる。また、中央にある五輪塔は、地元の人々が、歴代住職の霊を慰め、手厚く供養するために昭和40年にこの墓地を整備したてた供養塔である。 』
西高井戸松庵稲荷神社 - Wikipedia



 当社は旧松庵村の鎮守で祭神は受持命(うけもちのみこと)です。
 松庵村は万治年間 (1658~ 1660) に松庵という医者が開いたと伝えられ、 安養寺 (武蔵野市) の供養塔にある荻野松庵がその人ともいわれています。
 境内入口には元禄3 (1690) 年、元禄6(1693) 年銘の庚申塔があり、元禄3年のものには 「武州野方領松庵新田」と刻まれています。 このことから元禄3年以前には松庵村が開村していたことが分かります。
 また当社は、明治維新の際に廃寺となった円光寺(天台宗 江戸八丁堀湊町普門院末) の境内にあった社で「新編武蔵風土記稿」 の松庵稲荷の頃には 「上屋二間二二間半 内ニ小祠ヲ置 社前二鳥居ヲ立 村内ノ鎮守ニシテ例祭ハ其日ヲ定メズ」 と記されています。
 昭和9(1934) 年、 隣村中高井戸村の鎮守稲荷神社を合祀以後、 西高井戸松庵稲荷神社と称し、 同10 (1935)年には社殿を改築し、今日にいたっています。
 社前の五日市街道は江戸時代には 「青梅街道脇道」 とも呼ばれ、 木炭をはじめとする生活物資の輸送に大きな役割をはたしてきました。
 なお、神社の北側裏手には、 円光寺初代住職である寿海 (元禄9(1696) 年遷化) の墓地をはじめ、 歴住の墓地や五輪塔があります。





◆庚申堂





◆神楽殿





◆鳥居





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