前の日記のエリアから徒歩で春日大社へ。
既にかなり歩いたなぁ。
◆春日大社
春日大社御祭神
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 様
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 様
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)様
第四殿 比売神(ひめがみ) 様
春日大社は、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って神護景雲二年(768)、御蓋山(みかさやま)の中腹のこの地に社殿を造営し、四柱の神々様を併せお祀り申しあげたのがはじまりです。
この四柱の神々様は、それぞれ壮麗な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、春日皇大神(かすがすめおおかみ)様、春日大明神様と尊称され、崇敬を集めてまいりました。
今も昔と変わらず、朝夕の御饌(みけ)祭をはじめ、年間二千二百余度のお祭りが行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、共存共栄が祈り続けられております。
摂社水谷神社から春日大社(参拝所)に通じる路。
また、東大寺(二月堂、若草山、手向山へ向かう古くからの南都の巡礼道でもあった。
樹高 12.5m
幹周 6.55m
(地上 1.3m)
水谷神社の瑞垣(みずがき)の隅に伸びるイブキの巨樹。幹は空洞になっており、その中からスギが立ち、イブキの幹が大きなスギを抱え込む形になっている。
この不思議な関係のイブキとスギは古くから「水谷神社の寄生木(やどりぎ)の名で知られている。
御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)樣 大己貴命(おおなむちのみこと)樣 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)樣
御例祭 四月五日(鎮花祭)
御神德 病気封じ・八方除け
難病 疫病を封じ、地相・家相・方位・日柄などから現れる災難を取り除き、福德円満をもたらす神様。平城京の水源となる神山春日山から湧きいずる聖流「水谷川」の水源地に鎮座する上水谷神社の里宮で、春日大社のなかでも最も古いお社の一つ。御祭神は平安時代に隆盛した牛頭天王としても信仰され、京都八坂神社の本祀ともいわれる格式の高いお社。御例祭(鎮花祭)には、古くから社伝神楽と禰宜座(ねぎざ)狂言が奉納されてきた。禰宜座狂言というのは春日神人(禰宜)が演じることからそう呼ばれ、豊臣秀吉が肥前名護屋城に招くなど一流の狂言として誉高かった。かって水谷神社の西には子安社があり、その御力の現れる場所が拝殿の「子授け石」とされる。この石を清めると子宝を授かるとお参りの人が絶えない。
龍王社
御祭神 龍王大神様
御例祭 八月八日
御神徳 運気上昇・金運財運守護天に昇る龍の如く運気を上昇させ、富貴に導く神様。龍王社はかつて勅額門を備えた壮麗な安居屋の鎮守社として、また春日における龍神信仰の中心的なお社として、広く崇敬をあつめていたが明治時代、総宮神社に合祀された。 当社では御創建1250年を機に、多くの方々に春日信仰の根幹をなす龍神信仰にふれて頂こうと、 140年ぶりに龍王社を再興した。龍王社は神山春日山に鎮座する水徳の神で、中世には善女龍王を把る高山龍王社ともいわれた式内社鳴雷(しきないしゃなるいかづち)神社の里宮にあたるお社。
一言主(ひとことぬし)神社
御祭神 一言主神様
御例祭 六月五日
御神徳 一願成就
一言信仰の御霊験高く、一事を真剣に祈願すれば叶えてくださる神様。物事の善悪を判断する力を与えてくださる神様としても信仰が篤い。祈願が成就した暁には感謝の心を籠め、烏居を奉納するしきたりがある。
御祭神 伊勢・春日八幡大神樣 白山大神樣 三光宮樣 二上権現樣 北向荒神樣 窪弁財天樣 睡大神樣
御例祭 六月五日
御神徳 建築・家宅守護
住まいを授け、住む人の平安をお守りになる神樣。建築土木関係者の信仰も篤く、地鎮祭や引越しの際にお参りするとよい。
元禄十二年(1699)創建
元禄年間に時の将軍綱吉の母である「桂昌院」の寄進によることから、桂昌殿と呼ばれているが、「祈祷殿」といい、天下泰平の祈願を修する建物である。
東方の一間、二間分水祭壇上なり、両脇の控間にわかれている。
どれがどの門なのかわからなくなってしまった。
一つ足りない・・・・。
治承三年(1179)創建
三門ともほぼ同じ規模であるが、慶賀門は藤原氏一門、清浄門(僧正門とも呼ばれる)は僧侶、内侍門は内侍の参入口として用いられてきた。中でも慶賀門は天井に格組天井(ごうぐみてんじょう)を張り、他の二門よりも立派な構造になっている。
治承三年(1179) 創建
連子窓(れんじまど)で中央を仕切り、それを中心に左右の屋根裏に各々棟をつくり、更に大棟をつくる複廊形式の三棟造(みつむねづくり)で、同種の遺構は
ほとんどなく貴重なものである。
御祭神 猿田彦命(さるたひこのみこと)
御例祭 十一月一日
御由緒 春日の地主の神として尊崇され、本社御鎮座後、一時安倍山(現在奈良県桜井市)にお参りになったが、承平五年(935年)再びこの場所へ御帰座になった。
御神德 寿命を守り給う神として信仰され安永四年には宮中より御祈持も願い出られた。又、同時に導きの神、道開きの神として人生の岐路に御加護を願う人が多い。
花の穂が地面の砂にすれるほど長いところからこの名がある。樹除八百年ともいわれ、 鎌倉時代後期(1309)に描かれた絵巻者「春日権現験記(かすがれいげんけんき)」にもここにフジがあったこととが記されている。
春日大社では神紋にもフジの神樣を用い奈良朝以来境内のフジは大切にされている。
井栗神社
御祭神 高御產霊神(たかみむすびのかみ)様
御例祭 五月二十五日
御神德 安産の神様で縁結びの御霊験も高い神様
穴栗神社
御祭神 穴次神(あなつぎのかみ)樣
御例祭 五月二十五日
御神德 幸運を導いてくださる神様
辛榊神社
御祭神 白和幣(しろにぎて)樣
御例祭 五月二十五日
御神德 交渉をおまとめくださる神様
青榊神社
御祭神 青和幣(あおにぎて)樣
御例祭 五月二十五日
御神德 争いを解決に導く神様
この広場は古来より「林檎の庭」と呼ばれ、このリンゴ(当時はワリンゴ)の結実が多いか、少ないかでその年の農作物の豊凶を占ったとされている。
元々の樹は平安末期、高倉天皇(1168~1179)の献木と伝わるが、その後枯れ、今ある樹は昭和三十二年に献木されたものである。
岩本神社
御祭神 表筒男命(うわつつおのみこと)様、中简男命(なかつつおのみこと)樣、底筒男命(そこつつおのみこと)様
御例祭 十二月十六日
御神德 住吉明种樣をお祀りした受験合格 和歌の神様
樹高 23.0m
幹周 7.94m
(地上 1.3m)
このスギは、樹齢千年ともいわれ、鎌倉時代後期(1309)に描かれた絵巻物「春日権現験記(かすがごんげんけんき)」にその姿が描かれている。
根元から西方に、直会殿(なおらいでん)の屋根を通して伸びる樹は、イブキ(ビャクシン)である。
翔祭神 級長津彦命様 、級長姫命樣
御例祭 九月一日
御神德 声明を司り罪穢を清めるお祓いの神様(子授け)
御由緒 御祭神は風の神様で、息吹を司られることから生命の神として、また人々が知らず知らずのうちに犯してしまう罪穢を風の如く吹き仏い清めてくたさる神様として信仰されている。また御殿の両脇には御祭神が風のカで集められた七種類の木が共生した「七種(なないろ)の寄木(うやどりぎ)」があることから子授りの神様としても信仰されている。
御祭神 角振神(つのふりの)樣
御例祭 五月二日
御神德 魔物をお祓いくださる神様
御由緒 鎌倉時代に成立した「春日権現験記」に関白籐原忠実公の御殿に忍び込んた天狗法師(魔物)を御祭神の霊威によって追い払う話が見える。古来魔物(天狗)退散厄除の神様として信仰されている。
八雷神社/栗柄神社/海本神社/杉本神社/佐軍神社
八雷神社
御祭神 八雷大神(はちらいおおかみ)様
御例祭 四月十五日
御神徳 雷神樣て、電気のカ(電話・通信・電気)で人々に幸せをもたらす神様、雷除けの御電験も高く電気関係者の信仰も篤い
栗柄神社
御祭神 火酢芹命(ほすせりのみこと)樣
御例祭 四月十五日
御神德 門戸(出入口)を守る神樣で除災の神樣として信仰が篤い
海本神社
御祭神 大物主神(おおものぬしのかみ)樣
御例祭 四月二十五日
御神德 水德の神樣で五穀豊穣 食の安全を守る神様
杉本神社
御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)樣
御例祭 四月二十五日
御神德 御祭神は山岳守護の神様であることから高層マンションで主活する人々や高層ビルで働く人など、建物の高僧会で生活する人々の安全を守る神様として信仰されている
佐軍神社
御祭神 布津之霊大神(ふつのみたまおおかみ)樣
御例祭 四月二十五日
御神德 石上神宮の御祭神と御同神で、国上平定に偉大な霊験があったことにより、災禍を祓い悪因・悪縁を断ち切る神様である。
後殿御門は明治維新以来、長く閉ざされていましたが、第六十七次式年遷宮を機に百四十年ぶりに開門することになりました。後殿にお鎮りになる御社はこちらからお参りください。
伝 大同二年(807)創建
古くは「宝蔵(ほうぞう)」あるいは「神庫(しんこ)」とも呼ばれ、本殿に次ぐ重要な建物である。殿内には春日祭などの御神宝を納め、かつては鑰匙(鍵)は官に保管されるという厳重さであった。
御祭神 伊毕諾命(いざなぎのみこと)様
御例祭 四月二十二日
御神德 生き物・生命の根源を司る神様で延命長寿の信仰が篤い、また東大寺の中興の祖重源上人は多賀様の御神助によって平家の焼き黄ちによって焼失しただい仏殿を復興できた故事により、仕事の完遂をお導きになる神様としても信仰されている。
燈籠
この燈籠、春日大社の中に3000基余りあるのだという。
御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)樣、経津主命(ふつぬしのみこと)樣、天児屋根命(あめのこやねのみこと)様
御例祭 十一月九日
御神德 御蓋山(みかさやま)は太古の昔より霊山と崇められる神奈備(神樣が御鎮まりになる所)で、神護景雲二年(768)御本社第一殿の御祭神である武甕槌命様が白鹿の背に御乗りになり、頂上の浮雲峰に天降られた神蹟である。
每月一日にはこの所に神饌を供し、頂上の本宮神社を遥拝する。
御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)様
御霊徳 子供の成長をお守りくださる神様
樹高 24.0m
幹周 11.46m
(地上1.3m)
県下で一、二を争う巨樹であるこのクスノキは、もとは三本の苗木が成長に伴って合着したものといわれおり、神功皇后お手植えと伝えられる。
記録によれば享保四年(1719)の大雪で幹上部が折損し、そのため低い樹形になったとされる。
兵主神社/南宮神社
兵主神社
御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)様
御神徳 勇気をお授け下さる神様
南宮神社
御祭神 金山彦神(かなやまひこのかみ)様
御神徳 財宝の神様
若宮神社本殿1棟 保延元年(1135)創建
若宫神社拝舍1棟 治承二年(1178)創建
若宮の御祭神は長保五年(1003)に御出現あそばされ、保延元年1135)現在の地に祀られる。国指定重要無形民俗文化財である「春日若宮おん祭」(十二月十七日)に際して、その一日のみ御旅所にお渡りになる。
鎌倉時代後期に描かれた絵巻物「春日権現験記」(1309)にも現状と同種の建築物が描かれている。拝含の屋根の後端は神楽殿と一体になっている。
八房藤
若宫神社本殿北側 のナギの幹に大蛇のように巻き付いているフジは、古くから、「八房藤」または「八ツ藤」と呼ばれている。この名は太いツルが八つに分かれているためとも、花が八重であるので八重藤から転じたとも伝えられている。他のフジよりも開花が1週間ほど遅い。
文明元年( 1469) の記録が残り、樹齢五百年以上と考えられる。宝水年間(1704~1711)に結成された「春日八ツ藤講」の由来ともなった由緒あるフジである。
天正九年(1581)、大和長谷寺にある紀貫之の名紅梅「人はいさ」の穂木から接ぎ木した梅の木を、春日の篤信家米谷宗慶によって、若宮社前に献木されたものと伝わる。昭和戦後大風で倒れたが、根元から生えた萌芽が成長し、今も美しい紅梅を咲かせている。
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける 紀貫之」
御祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)様(お稲荷様)
御神徳 衣食住の神樣
赤乳白乳遙拝所
ここから南に約三キロ離れたところに本社赤乳神社白乳神社が鎮座されており、古来より赤乳神社は女性の下半身、白乳神社は上半身を御守り下さる御神徳がございます。
懸橋社(葛城神社)
御祭神 一言主神(ひとことぬしのかみ)様
御神德 夢を叶えてくださる神樣
三十八所神社
御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)様、伊弉冊尊(いざなみのみこと)様、神日本磐余彦命(かんやまといわれひことみこと)様
御神德 発明・起業の神様
御祭神 蛭子(ひるこの)神様(えびす様)
御神德 商売繁盛・福運円満の神様
每年一月十日は御例祭、春の十日えびすとして賑わう
金龍神社
御祭神 金龍大神
御由緒 今から七百年程前、鎌倉幕府の零落による世の乱を嘆かれた後醍醐天皇は統幕を志されたが、事半ばにして幕府に露見。天皇は難を逃れて笠置へ落させられた。これが元弘元年(1331)8月15日の世に言う元弘の変である。
この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されて、天下泰平の御祈祷をあそばされた。これが金龍神社の起りである。
宮中(禁裡)の御鏡を奉安されたので、禁裡殿とも申し上げる。
聖蹟金龍殿と燈籠奉献の辞
余りにも細かすぎて、文字化を断念します・・・。
金龍神社鳥居
枚岡神社遙拝所
延命長寿を祈願する所
(原文)はるかに かはちのくに ひらおかを はいするよし
「春日大宮若宮御祭禮図」(寬保二年)より
奥の院道
名の由来は、摂社紀伊神社のことを「奥の院」と言われていたことによる。摂社若営神社より南東奥、紀伊神社に通じる。
鎌倉時代にこの九個の石(居石(すえいし))から、明恵上人が春日大社本殿を遥拝されたという
(原文)明恵上人明神を拝し給ふ所と云・・・
「春日大宮若宮御祭禮図」(寛保二年) より
御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)樣 (天河弁財天(てんかわべんざいてん)樣)
御神德 学問・芸能の神様
護摩壇
伊勢神宮遙拝所
天地の恵みに感謝する所
(原文)俗にはるかに伊勢大神宮を拝すと云
「春日大宮若宮御祭禮図」(寛保二年) より
龍王珠石
この石群は善女龍王が尾玉を納められた所という
『大和名所舊跡』
『奈良名所絵巻』(室永二年)より
紀伊神社
御祭神 五十猛命(いたけるの,みこと) 大屋津姫命(おおやつひめのみこと) 抓津彦命(つまつひめのみこと)
御神徳 新たな生気をいただく神様
春日巫女
けふの神楽に
藤を挿頭し
昭和三十三年十一月建立 俳誌桐の葉有志
関 圭草 略歷
本名 関 桂川明治十七年一月三日 奈良県天理市に生まれる
俳句は高浜虛子の高弟 ホ卜卜ギス同人俳誌「桐の葉」代表
東洋紡会長 関経連会長 日本綿業倶楽部理事会長を歷任
御祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)樣 須勢理姫命(すせりひめのみこと)樣
御神德 夫婦円満 家内安全の神様
上(かみ)の禰宜(ねぎ)道
かつて高畑の社家町から春日の禰宜(ねぎ=神官)たちが春日大社へ通った道で、高畑丹坂町から摂社若宮神社へ通じる。
延喜十六年(916)創建
春日祭の折りに勅使(天皇のお使い)が着到の儀式を行うところで、天皇行幸の際には行在所(あんざいしょ)としても使われた。南(参道側)が正面であるが、東側を入母屋の葺き下しとし、そこから出入りしている。
御奈神 瀬織津姫神様(せおりつひめのかみさま)
御刷祭 六月三十日(夏越大祓式当日)
御由緒 神護景雲四年(770年)御鎮座と伝えられる古社、年々の大祓式・春日祭における勅使の祓等はすべて当社御神前にて執行される
御神徳 祓の神様坐す、自らが犯した罪はもとより知らず知らずに犯した罪をも心から悔い改めて祈る時罪穢をお祓いくださる神様である 御参詣の方は手水後、まずこちらの社に参拝し心身を清浄にして御本社へ進まれたい
御祭神 衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)様
御例祭 六月五日
御神徳 交通安全・厄除
御由緒、一番下の文字が欠けているうえに判読できない文字があった・・・。
貞観元年(859)創建
天皇の行幸や勅使(天皇のお使い)、藤原氏高官の参詣の折りに牛車を入れた車庫である。両側面を除いてすべて吹放しとし、素木造(しらきづくり)の簡素な建物である。
萬葉植物園
昭和七年に創設された萬葉集に詠まれた植物を保護する国内最古の『萬葉植物園』でである。現在では椿園・藤園が増設され、面積も当時の2倍となっている。特に、藤園には春日大社の神紋である20品種/約200本の<藤>が植栽されている。
お休みだった。
東京国分寺には「万葉植物園」があり、入ったことがある。
きっと規模が違うんだろうなあ。
2015/11/03 part2 国分寺・万葉植物園・お鷹の道・真姿の池湧水群 - ovanの社会科見学
旧奈良県物産陳列所
この建物は明治35年(1902)に竣工し、同年奈良県物産陳列所として開館したもので、県下の殖産興業と物産の展示販売をおこなう施設として利用された。設計者は、帝国大学工科大学造家学料(東京大学工学部建築学科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師として古社寺建造物修理に尽力した関野真(せきのただし)博士(1867-1935) である。
木造桟瓦(せんがわら)葺で、小屋組や壁などに西洋建築の技術をとりいれつつ、外観は和風を基調とする。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、 東西に切妻造の翼部を延ばし、端には宝形造(ほうぎょうづくり)の楼をおいている。 関野は大学在学中より宇治の平等院風風堂を研究しており、 屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳風堂に範をとったものと思われる。また盛股(かえるまた)などの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建物の設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。 その一方で窓にはイスラム風の意匠もみられる。構造意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されている。
この建物は開館後、 奈良県商品陳列所、 奈良県商工館と名称を変え、昭和26年(1951)に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)までの間に奈良国立文化財研究所春日野庁舎として利用された。 昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして活用されている。
樹高 15.5m
幹周 4.58m
(地上1.3m)
日本では中部以西の山野に自生し、 春日山にも多く生えている。果皮には大量のサポニンが含まれるため、かつて石鹸としても利用されていた。 種子は正月の羽根突きの球や数珠に使われた。
平安時代 創建
平安初期の創建と伝え、康平六年 (1063)の記録に初見する。 現在の形式は明神形で桶側式に檜厚板十六枚を張り立てて円柱としている。
ものすごい情報量だね・・・・。
日記にするのもかなり時間がかかった。
それだけご利益があるといいのだけれど(w
この後は近鉄奈良駅に向かおうと思ったのだが、途中で「興福寺」に立ち寄る。
続く。