2022/09/15 東久留米散歩 03 交通安全地蔵尊/宝泉寺/神山バッティングセンター/稲荷大明神/石碑/神山氷川神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/210000






◆交通安全地蔵尊









◆宝泉寺


石幢(せきどう)六地蔵/地蔵菩薩



石幢六地蔵
 市内に唯一現存するこの石幢六地蔵は、六面体の石幢に六道を表現した地蔵菩薩が刻まれています。
 銘文には、文化九年(1812) 十一月吉日の年記と「西国、秩父、坂東」という観音霊場の名が見られ、観音信仰の色彩も強いことがうかがえます。

地蔵菩薩
 嘉永二年(1849)に造立されたこの地蔵菩薩は、三人の童子がすがりつく慈愛に満ちた子育て地蔵の姿を現しています。 意匠と技術の優れた石仏で、台座には、この石仏の造立に関係した多数の人名が記されており、当時の信仰の様子を知るうえでも貴重な文化財です。









◆神山バッティングセンター









稲荷大明神




近くにいたキジバト

ででっぽー♪と鳴いていた。


近くに咲いていたコスモス

すっかり秋になってきたね。









◆石碑

何が祀られているのかわからなかった。




google mapには載っていなかった。
丸印のついたところあたりにあった。









◆神山氷川神社


由来記

文字化を断念・・・。
どなたかお願いします。
ぺこ <(_ _)>


境内社



氷川神社鳥居新築記念碑

水川神社鳥居は、嘉永三年に建立されたものであり、歳月を経、老朽していた処、昭和六十一年三月廿三日雪害を被り倒壊した。
よって氏子崇敬者相謀り、協賛を得て七月吉日新装落成を見たものである。旧鳥居基礎石と共に、旧記を残し神恩益々御加護あらんことを祈念し、滋に記念の碑を建立するものである。


鳥居









続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/220000

2022/09/15 東久留米散歩 02 コスモス 東久留米足立店/門前氷川神社/庚申塔/東久留米氷川台二丁目アパート/金山森の広場/グリーンヒルズ東久留米/海軍大和田通信隊跡

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/203000






◆コスモス 東久留米足立店

初めて見たかも。
『コスモスジャパン株式会社(Cosmos Japan Co.,Ltd.)は、ボランタリーチェーンで展開するコンビニエンスストア会社である。本社を千葉県松戸市に置く企業である。』
コスモスジャパン - Wikipedia











◆門前氷川神社



 氷川神社の全国に二八八社数えるが、そのほとんどが荒川と多摩川に挟まれ一帯に集中、本社に埼玉県大宮市に鎮座する。祭神に須佐之男命、奇稲田姫(くしなだひめ)子神大国主神「ひかわ」とは本来「日川」のこと
福をもたらす太陽と水の信仰に由来するという。また、出雲族武蔵国造となって移住し、出雲の神々を祀ったもので氷川は出雲の簸川(ひのかわ)に因むという。











庚申塔



 江戸時代に盛んになった民間信仰の一つに庚申信仰があります。六〇日ごとの庚申の日の夜、眠っている人の体から三尸の虫が脱け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。そこで、人々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。
 庚申塔はその信仰を表すもので、江戸時代中頃から造立が盛んになりました。
 この庚申塔享保一九年(一七三四)の造立で、 青面金剛、日月、邪鬼、二鶏(にけい)、ショケラ、三猿が配されています。 「惣村(そうそん)供養仏」の銘文のほか、供養した多くの男女の名前が刻まれています。




近くを飛んでいたヘリ











◆東久留米氷川台二丁目アパート












◆金山森の広場



 東久留米金山緑地保全地域は、 武蔵野台地の北東に位置し、標高は45~50mです。 台地の平坦な樹林と黒目川によって造られた崖線からなる地域です。 樹林区域の主要部分はコナラやクヌギの雑木林です。 南側及び東側の区域はケヤキシラカシで構成された樹林になっており、 崖線に面した区域はアカマツ林となっております。 東京都は、 ここを 「東久留米金山緑地保全地域」 に指定し、 将来にわたって守っていくことにしました。












グリーンヒルズ東久留米













◆海軍大和田通信隊跡



 昭和11年(1936) に埼玉県北足立郡和田町西堀に開設された旧日本海軍の外国無線傍受専用受信所の中心的な施設で、翌年に「東京通信隊大和田分遣隊」 となり、昭和16年 (1941) には 「大和田通信隊」 として独立しました。大和田町の受信施設を中心に、 東京都北多摩郡清瀬村下清戸、同久留米村神山に及ぶ本隊、清瀬村中清戸の副受信所の3町村にまたがる広大な面積を有し、 久留米村には字神山の平坦地に関連施設やアンテナ群が設置されました。久留米村部分の面積は明確ではありませんが、 海軍施設所有地約1.2ヘクタール、アンテナ等敷設の海軍占有地約200ヘクタール程(現在の上の原一丁目、二丁目内) と推定されます。
 戦後、 久留米村の用地の大部分は国有地となり、 昭和37年 (1962) に日本住宅公団の大規模な 「東久留米団地」が建設されました。 また、 久留米村の通信施設の一部は米軍の 「大和田通信所」 の基地となり、 その後、昭和38年から昭和52年まで運輸省航空交通管制本部として利用されました。 現在、旧海軍通信施設としての遺構等は全く存在しませんが、 上の原二丁目の南西端より 「海軍用地」 の境界杭が発見されており、この地に旧海軍の施設が存在したことを記憶にとどめるため、 戦争遺跡として旧跡に指定しました。 なお、 旧跡指定は東久留米市域のみです。


近くを飛んでいた飛行機


上述の『「海軍用地」 の境界杭』

2022/09/17 撮影。











続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/213000

2022/09/15 東久留米散歩 01 東久留米駅/猿田彦神社・武蔵野稲荷神社/西武池袋線踏切/源の湯/東久留米駅前商店会/大橋通り商店会


24時間勤務アケで、東久留米駅北東エリアを散歩。






東久留米駅

西武池袋線東久留米駅







市民ギャラリーひがしくるめ

「バードカービング


朝ごはん

松屋 東久留米店



お店チェック



スパジャポ

車に書いてある「スパジャポ」って何だと思って検索。
天然温泉 岩盤浴 スパジアムジャポン|スパジャポ


行ってみたい!











猿田彦神社・武蔵野稲荷神社


神藤庄太郎翁之像

東久留米駅海春者」とある。

調べてみた。
コチラに詳しく載っていた↓
https://www.city.higashikurume.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/891/18.pdf












西武池袋線踏切




しばし、撮り鉄(w




西武線は種類が多い・・・?











◆源の湯

銭湯♪












東久留米駅前商店会

商店街♪











◆大橋通り商店会

商店街♪











続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/210000

2022/09/13 伊藤忠SDGs STUDIO 「こどもの視展」




子どもの視点で物事を見たり感じるできるイベント。

わかったこと。
子どもの視点から大人を見ると大人がキリンを見上げているくらいの感覚。
子どもが食事するとき、食器などはかなりの重量物なので、倒したりこぼしたりしやすい。
子どもの頭は体に対してかなり大きいので、立ち上がったりするのにとてもエネルギーがいる。
ランドセルを子供が背負うと、大人が18.9kgものを背負っているのと同じとのこと。


子どもがイロイロできなかったり、怖がったりするのはまずそういうところから考えないとだね。
とても勉強になった。





伊藤忠SDGs STUDIO
ITOCHU SDGs STUDIO の概要|ITOCHU SDGs STUDIO|伊藤忠商事株式会社





場所はコチラ↓




イベントHP↓
www.itochu.co.jp

2022/09/13 新宿・外苑前散歩 西新宿駅/新宿警察署裏交差点/新宿中央公園/新宿十二社熊野神社/外苑駅/伊藤忠SDGs STUDIO 「こどもの視展」/ラパウザ/新高円寺駅

お休み♪
新宿で散歩した後細君と合流。
外苑前にある伊藤忠さんの施設でやっている展示を見てご飯食べて帰る。






西新宿駅












◆新宿警察署裏交差点


LOVE

ロバート・インディアナ
交差点から見える有名なアート。












新宿中央公園












◆新宿十二社熊野神社

何度もお参りに来ている神社。




神社外にお堂があった。
今まで気が付かなかった。












◆外苑駅


躍動の杜

2020 山下良平


銀杏並木道を全速力で駆け抜けるスプリンター。
その視線の先に存在する伝説の競技場の数々で全力を尽くすアスリートたち。
ここはスポーツの杜として知られる明治神宮外苑。
世界中からスポーツの感動を求めて人々が集い歓喜するとき、 神宮外苑は躍動の杜になる。

本ステンドグラスは鑑賞者が作品世界に吸い込まれていくようなイメージで絵作りしました。
訪れる人々を本物のスポーツの感動へいざなうアートとして存在し、親しまれ続けることを願っています。












伊藤忠SDGs STUDIO 「こどもの視展」

別の日記で。
2022/09/13 伊藤忠SDGs STUDIO 「こどもの視展」 - ovanの社会科見学












◆ラパウザ 新宿西口パレットビル店

美味しかった♪












新高円寺

2022/09/12 保谷散歩 06 栄町二丁目樹林地/西入稲荷神社/県境/松乃湯/ひばりヶ丘駅/三鷹駅

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/12/230000






◆栄町二丁目樹林地








◆西入稲荷神社



隣は栄町二丁目樹林地








◆県境

向う側が埼玉県。



左側が埼玉、右側が東京。





場所は丸印のところあたり。








◆松乃湯

銭湯♪





近くを飛んでいた飛行機。








ひばりヶ丘駅






西武バスで三鷹駅へ向かう。








三鷹駅



JR三鷹駅










涼しくなってきたね。
高低差も少なく、気持ちよく散歩ができた。
今後の予定では西へ向かうが高低差は少ないのかな?
なだらかであってほしいね。。。

2022/09/12 保谷散歩 05 下保谷天神社/上前遺跡/馬頭観音坐像/題目塔/たけのこ公園/大象坊跡墓地

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/12/223000







◆下保谷天神社


天神社 拝殿

 本殿の納まる覆殿と、仮殿と幣殿でつ幣殿でつながる入母屋造のこの拝殿は、正面に張り出した向拝の屋根を支える柱の礎石に「天保五年午四月日」「願主高橋佐五右エ門」の刻銘があることから、天保五年(一八三四)の建築と推定されます。市内に現存する木造建造物としては有数の古さのもので、屋根や覆殿との接続部分に改修が見られの、建築当初の姿を現在に伝えています。
 また、拝殿の四方上部の小壁には、漆喰で波や龍が描かれています。これは「鏝絵」(漆喰彫刻)と呼ばれる手法で、江戸後期から明治期にかけて流行しましたが、市内では他に例を見ません。描かれた意匠は水に関係する優れたもので、当時の人々が豊穣や吉祥、火伏を願ったものと考えられます。生活の中で水との関係が強かったこともかったこともうかがえます。
 天神社は、かつては三十番神を祀り「番神様」と呼ばれていました。明治元年(一八六八)に出された法華三十番神禁止令により、祭神を三十番神からその中の一柱である菅原道真に、社号を天神社に改めましたが、その後も下保谷村の鎮守として、今日に至っています。
 地域の歴史とともに大切に引き継がれた、幕末期の建築意匠を色濃く反映する貴重な文化財です。


菅原道真石造

 天神社の前身は、天正期(1573~1591)の初めと推定される創建の時代から、江戸時代終りの慶応四年(1868)まで、日蓮宗法華神道にもとづく三十番神として、下保谷村の鎮守社に祀られていました。 これが天神社に代った由来は、維新政府が明治元年1868) 神仏分離令に次いで発令した「法華三十番神禁止」によるものです。
 三十番神は日本の神祇の中から善神三十座を選んで、その神々が一か月三十日間番代りに日蓮宗の信徒を守護するという信仰思想に依っていますが、この三十番神が村鎮守であった享和元年(一八〇一)から、鎮守境内に番神に近縁の摂社として、菅原道真石像を神体とする天神社が祀られていました(現、境内西旧社殿)。道真が番神の摂社として祀られていたのは、善神三十座中に天満天神=菅原道真が配列されていた由緒によるものです。 この由緒を幸いとして、禁止令にあった氏子は、ただちに菅原道真石像を本殿に移し、三十番神の社号を天神社に改めました。
 『武蔵保谷村郷土資料』(高橋文太郎著)は、禁止令後約七十年を経た昭和十年にいたっても、 番神講の御奉謝が厳粛に行われていた様子を取材していることから、村鎮守三十番神に対する伝統的な氏子の崇敬が理解できます。なお三十番神神像は市指定文化財第二十九号として、今当時の別当寺であった福泉寺に収蔵されています。

※コチラひとつ前の日記「福泉寺」
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/12/220000


氏子中奉納題目塔二基



安永二年(1773)建立
安永九年(1780)建立
 安永二年(1773)九月造立の、自然石に彫られた俗称髭文字(宗祖日蓮の筆跡をなぞった書体)の題目塔、七年後の安永九年(1780)八月造立の三mにのぼる大きな題目塔のこの二基は、いずれも基壇とその下部に「氏子中」と銘文して、
 当時の下保谷村鎮守三十番神に奉納され、それ以来この場に二百二十年余を経て立っています。 下保谷村は中世文明年間(1469〜86) 前後とみられる草創以来、日蓮宗下総中山門流の宗派圏に入り、村びとすべて法華の信徒となって、 この宗派に独自の三十番神を村の鎮守神に祀ったのです。江戸時代末までの神社は神仏習合でしたから、三十番神の氏子で構成する番神講は、祭礼ごとに御奉謝を開いて題目を奉唱しました。 二基の題目塔は鎮守に村の大願を祈念して、 題目一千部と二千部の奉唱を達成した記念の塔です。
 こうした神仏習合の神事の習俗は、明治維新政府によって神仏分離され、このとき廃仏毀釈と呼ばれる事件も起きましたが、氏子一同は祭神の三十番神々像 (西東京市指定文化財第二十九号)を別当寺であった福泉寺に移して保存し、鎮守境内に番神信仰の伝統を象徴する二基の題目塔を残して守り続けました。このとき以降社号天神社に代りましたが、祭神の菅原道真三十番神中の一柱です。


境内社

何が祀られているのかわからなかった。


石塔













◆上前遺跡

説明版などは見当たらなかった。





google mapのマークは上の写真のところあたり。
縄文時代の遺跡のようだ。
場所は「北町六丁目」としか記されていなかったため、こちらで合っているのかどうかわからなかった。

参考
西東京市-遺跡一覧












馬頭観音坐像













◆題目塔













◆たけのこ公園












◆大象坊跡墓地

墓地は現存している。
詳しいことはWEBで調べてもわからなかった。
古地図アプリで観ようかなと思ったけど、23区を超えると使えなかった。












続く。