2017/07/30 神田散歩 03 宝田神社・賓田恵比寿/中央区立地蔵橋公園/福田稲荷/神田紺屋町/鍛治町

古河市兵衛翁像のあとは北へ。
神田駅に戻る。


◆宝田神社・賓田恵比寿

google map には二つ分かれて表示されてるが、
社は一つのようだ。
わからずにそのへんグルグルまわっちゃった。


10月19日は「べったら市」とのことなので、
アケの日、もしくは休みだったらいってみよう。





中央区立地蔵橋公園




竜閑川埋立記念と書かれた碑の裏にこんなことが書いてありました。


江戸砂子や新編江戸志には 約270余年前の天和年間に防火のために掘ったもので神田橋と常盤橋の間から外濠の水を東方にあった浜町川に注ぐその両岸は石垣でたたみ川巾6間神田堀と呼んだ 元禄4年にも掘った 安政4年4月土手崩して堀を入口の竜閑橋だけを残して埋めたが明治16年再び掘って防火用雨水用として川名を竜閑川と名づけた 昔時この川の西端に住んで居た井上竜閑は江戸城つとめの殿中接待役「お城坊主」として有名であった 後その所を竜閑町といった 当時神田堀の別名に八丁堀火除堀銀堀等といわれ堀の堤を八丁堤といい松を並木に植えた時代もあった 川には舟の往来もあったが近頃下水より汚水流れ込み悪臭を発散しごみを捨てるため蚊蠅等わき衛生上宜しくなく川は全く無用のものとなった 東京都は第二次世界大戦直後川底に大下水管を埋設して戦災燒残土を以て埋立て宅地をつくり復興を促進する計画をした神田及日本橋より選ばれたる連合委員会は賛意を表し将来を推察して新埋立地を土地現住の人々に払下げられたき件を申請し中間に立ちて其労をとる事を願出た昭和25年3月埋立工事竣工しこの大事業も滞なく完成した
今回もと竜閑川のあつた中央地点地蔵橋際兒童遊園の東北隅を選び東京都の御承認を得て竜閑川埋立記念碑を建立したのであります
この埋立は実に千代田、中央両区の握手であって神田、日本橋区民の親和を増進するもの昔は川今は竜閑新道を中心に精励努力以て土地の発展に尽くされん事を




◆福田稲荷神社




ここも少し変わった神社ですね・・・。





神田紺屋町

旧町名の碑だね!






◆鍛治町

こちらも旧町名の碑。
ここまでくるともう神田駅そば。




また神田駅に戻ってきてゴール。
神田駅の西側エリア、北東エリアが残ってるので、しばらく通いそう。
速く涼しくなってくれないかなあ。