2018/12/20 本所散歩 02 軍鶏なべ屋「五鉄」/安兵衛公園/堀部安兵衛道場跡/元徳稲荷/三之橋/玉の肌石鹸

総武線より南側エリアから北に進路をとる。
若干前に行ったところとかぶる。



◆軍鶏なべ屋「五鉄」




 小説「鬼平犯科帳」に登場する、鬼平の行きつけの店、本所二ツ目の軍鶏なべ屋「五鉄」の場所は、「二つ目橋の角地で南側は堅川」とあるように、この辺りだと推定されます。
 鬼平 とその配下の密偵たちは、ここに集まって、軍鶏なべをつついていました。
 その名物である軍鶏 の臓物なべは「新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは夏の快楽であった」と「鬼平犯科帳」には書かれています。


前に来ている。
ovanrei.hatenablog.com




◆安兵衛公園 

 




 堀部安兵衛武庸は、元禄七年二月十一日(169年三月六日)の「高田の馬場」の決闘に助太刀し名を挙げた。安兵衛の評列を聞きつけた赤穂藩堀部安兵衛金丸は、安兵衛を娘婿に迎えることになる。赤穂藩主浅野内匠長矩の江戸城松の廊下での刃傷事件は、この七年後の元禄十四年三月十四日(1701年)に起きる。刃傷に及んだ浅野内匠頭長矩は一関藩田村右京太夫の屋敷に預けられ即日の切腹を命じられその日の内に切腹して果てる。赤穂城開城は元禄十四年四月十九日に行われ、藩お取潰しとなり浪人となった安兵衛は、ここ本所林町五丁目(立川三の十五)に居を構える。
杉野十平次次房は赤穂城開城後すぐに江戸に下向し江戸急進派一緒に行動、近くの本城徳右エ衛門町一丁目(立川三の十七)に居を構える。「長編歌謡浪曲元禄名槍譜俵星玄番」の中では、槍の名人「俵星玄番」に槍の極意を伝授された槍の名手と歌われている。
勝田新左衛門武尭は、杉野十平次次房宅に同居し当初から盟約に加わり江戸に出て堀部安兵衛武庸ら急進派とともに行動、本所周辺を夜回り探索を行う。元禄十五年十二月十五日明暁赤穂浪士は討入りの為安兵衛宅に終結後吉良邸へ向う。



堀部安兵衛道場跡(安兵衛公園内)

 安兵衛は越後国新発田藩(現・新潟県新発田市)溝口家家臣中山弥次右衛門の嫡子として生を受ける。
 高田馬場の決闘での助太刀の大立ち回りで一躍有名になり、赤穂藩浅野家家臣堀部弥兵衛に見込まれ婿養子となる。
そして家督を継ぎ堀部安兵衛武庸と名のる。
 此の地、林町五丁目に紀伊国屋店の二軒を借り長江長左エ門と称して剣術道場を開き、江戸急進派の中心的人物として吉良邸討入りの機会を探っていた。
 討入り当夜の同士集結場所の三ケ所のひとつであり、行装を整え出撃していった場所である。
 また、道路を挟み東の徳右衛門町一丁目には杉野十平治が杉野九一右衛門と称して、長十郎店一軒を借り住んでいた。




元徳稲荷神社


ここも前に来ている。
ovanrei.hatenablog.com




◆三之橋








橋脇を撮るいいスポットがなかった・・・・。



◆玉の肌石鹸

何かのテレビで見たんだっけかなあ?
google mapの「行きたい場所」のマークがしてあった・・・・。
よく覚えていない(汗



www.tamanohada.co.jp





続く。