このエリアでも南に進む。
車の通れない狭い路地があり、不安になりながら散歩する。
江戸東京野菜とは、江戸から東京に到る中で江戸市中や近郊で栽培されてきた伝統的な野菜{練馬大根、吉祥寺の東京うど、新宿の内藤唐辛子など)のことです。子供でも食べやすいように品種改良された現代の野菜と異なり、野菜本来の味を楽しむことができます。
「雑司ヶ谷ナス」も、この江戸東京野菜のひとつです。別名を「山ナス」といい、江戸から大正時代にかけて雑司ヶ谷地区一帯で栽培され、味が良いと評判だったそうです。
●皮はかたく、味は甘い
●形は小さめ
●熱を加えると、トロミが出る のが特徴です。
現在の豊島区は池袋副都心のイメージで、農業とは無縁な感じがしますが、かつては農業が盛んな土地でした。「雑司ヶ谷ナス」は徳川幕府に献上されていたという記録も残っています。2011年にJA東京あおばが、農業生物資源ジーンバンクからタネを取り寄せて栽培を開始。「雑司ヶ谷ナス」が復活しました。今回はここから苗を分けていただきました。
◆大鳥神社
江戸・東京の農業 雑司が谷ナス
江戸時代、清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地と してナスのほか、ダイコンや青菜などを生産していました。
とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやさ れていました。
ナスの栽培には、下肥(人糞尿)や馬糞が多く使われていました。
ナスはその用途が広いため需要も多くて、キュウリと並んで夏野菜のなかで重要な地位を占めていました。大正時代の中頃まで、伝統的栽培技術は引き継がれ、その後、年毎に早く収穫できる技術が開発されたことから、昭和の初めにはタネまきの最盛期 は、2月15日前後となりました。
文献によると当時の北豊島郡(現在の荒川・板橋・北・豊島・練馬の各区)のナスの作付け面積は、約200ヘクタールと記 されています。
◆手塚治虫旧下宿先
google mapに載っていたので来てみたが、本当にコチラで良いのかな?
◆鬼子母神表参道
◆稲荷神社(鬼子母神表参道途中)
続く。