2018/08/28 鬼子母神散歩 03 玄静院/観静院/法明寺の南無妙法蓮華経石碑/鬼子母神堂/雑司が谷みみずく公園/学問所雑司明哲院/鬼子母神とすすきみみずく

この日記のエリアもどんどん南下する。
鬼子母神の近くに史跡が集中する。



◆玄静院





◆観静院








◆光山法明寺の南無妙法蓮華経石碑

ここから先が参道だったんだろうか。
本堂まではかなりある。




雑司ヶ谷鬼子母神






 雑司が谷鬼子母神堂は、永禄4年(1561)に清戸(せいど)
(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置したことにはじまる。寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、生保3年(1646)には宮殿が寄進された。江戸時代前期から将軍の御成があるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。
 現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間(あいのま)」・「本殿」の3つの建物で構成される「権現造り」。本殿の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。拝殿と相の間元禄13年(1700)に建てられた。広島藩2代目藩主浅野光晟(みつあきら)の正室満姫(まんひめ)」の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組み物の彫刻には広島地方の持社に用いられている建築様式が見られる。拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。
これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建造物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月25日に重要文化財に指定された。



武芳稲荷





鬼子母神堂法不動




雑司ヶ谷鬼子母神イチョウ




 イチョウ (銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、4月に開花し10月に種子(銀杏)は成熟し、黄葉する。
 樹高30メートル、幹周8メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永 年間(1394 〜1428)に僧日宥 が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅 の『櫨(ろ)楓』によると、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄(しめなわ)を張るようになったのは文政 年間(1818〜29)の頃という。




参道






雑司が谷みみずく公園






◆問所雑司明哲院

google mapには「問所雑司明哲院」となっているが、
「関洋装店」かな?
ちょっとわからない。





鬼子母神とすすきみみずく



 鬼子母神は、子授け、安産、子育ての神として、江戸時代から人々の信仰を集めている。
 参詣土産の”すすきみみずく”も、東京の郷土玩具として古くから親しまれてきた。その純朴で愛らしい姿には、こんな伝説が宿っている。
 むかし鬼子母神の近くに二人暮らしの母娘が住んでいた。ある時母親が病に倒れ、途方に暮れた娘は鬼子母神に願をかけた。すると、「この辺りは芒(すすき)の多いところゆえ、これを刈り取りその穂をもって”すすきみみずく”を作り、神の庭にて売るが良い」という夢枕のお告げがあったという。孝行娘の一念が通じいつしか母親の病は直り、以来娘は蝶々になって鬼子母神に仕え寺いるという。


「病は直り」は原文ママ



続く。