2019/05/28 北沢散歩 05 三田用水取水口跡/観音通り/笹塚観音/第三号橋/南ドンドン橋跡/第二号橋/名称不詳橋

笹塚駅周辺までやってきた。
笹塚駅南側を散策。


◆三田用水取水口跡





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この先は暗渠となっていた。




◆観音通り










◆笹塚観音






 笹塚観音は、地元、古老のはなしによりますと、時代ははっきりしませんが、昔、笹塚橋のたもとにあった泥まみれの地蔵さまを、土地の人びとが、もったいなく思い、洗い、清め、堂を建てて供養したのが始まりということです。また、このころ、もう一体由緒縁起のはっきりしない観音様があったという話も伝つています。
 その後、さらに、地元の信者有志の間で「親徳講」という講がつくられ、新しく、京都の上醍醐寺というお寺から、観音様をお迎えしたということが伝えられています。結局、この三体の菩薩が供養されていたというのが、笹塚観音で、昔から、人々の信仰をあつめていたということです。
 ところが、第二次世界大戦中の昭和二十年五月二十五日の、あの東京大空襲によって、この笹塚観音もすつかり焼失してしまいました。
 当然、その時、観音様も一緒に焼けてしまったと思われていました。
 ところが、焼けあとの中から右手首がかけただけで、元のままの観音様が発見されたのです。
 これが上醍醐寺からお迎えした観音様で、のちに仏師によって修復され、現在の笹塚観音として伝えられています。
 昔からの、人々の信仰のあつき故でしょうか、笹塚観音は、京都上醍醐寺からこの地にお迎えしてのち、戦火をくぐり、焼けあとからよみがえつて、きように至っているということです。
 なお、観音さまは、いろいろある菩薩さまの一つで大慈悲の体現者とされ、六観音の姿で示されますが、笹塚観音は、その中の聖観音といわれ、観音様の、もとの姿を現しているということです。



観音さまは、多くの仏様の中でも最も慈悲深い仏さまであり、人々の苦しみを見てはその苦を除き、望みを問いてはその望みをかなえて楽しみを与えてくださいます。笹塚観音様の御霊験は古今無双であり、御示現の日今日に至るまで、特に子育て、合格祈願、家内安全、交通安全等すべての願いをかなえて参りました。



◆第三号橋









玉川上水

玉川上水は、江戸時代の承応二年(1653)に、多摩川上流の羽村に取水口を設け、四谷大木戸までの全長約四十三キロメートルにわたって開削された上水道です。
 老中松平伊豆守信綱(のぶつな)の総奉行、伊那半十郎忠治(ただはる)を水道奉行とし、庄右衛門・清右衛門兄弟の手によって開削工事は着工されました。兄弟は難工事に失敗を重ね、信綱の家臣安松金右衛門吉実(よしざね)が改めて工事を行い成功させたとの説もあります。
 この事業は、羽村から四谷大木戸まで掘り割りをつくって上水を引くという大工事でしたが、同年十一月に四谷大木戸まで、翌年六月には江戸市中までそれぞれ完成し、通水を開始しました。
 その功績によって、庄右衛門・清右衛門兄弟は玉川の姓を名乗ることを許されたといわれています。
 上水は、江戸市中の生活用水として使われましたが、その余水は農業用水にも用いられました。また、その落水を利用して水車を動かすなど、この渋谷にも限りない恩恵を与えてくれました。
 平成十五年に開削三百五十周年を迎えた玉川上水は、同年八月二十七日に国指定の史跡となしました。






◆南ドンドン橋跡

下は玉川上水が流れている。





◆第二号橋











◆名称不詳橋








橋名がだいぶ削れて判読不能
WEBで調べたところ「稲荷橋」のようだ。
この先にお稲荷さんもある。




橋手前にあった看板が気になって調べてみた。
「たこの吸出し」ってなんぞ?
町田製薬株式会社の創業者、町田新之助がおでき等を何とか切らずに取る方法はないかと考え「たこの吸出し」ができたとのこと。
超ロングセラー薬とのことだが初めて聞いた!!



続く。