2019/07/09 浅草散歩 02 凌雲閣跡/浅草ひさご通り商店街/感応稲荷神社/旧浅草芝崎町/旧浅草国際劇場跡

浅草寺の後はそのまま西へ進む。
上野を目指していたんだがさすがに残業後なので疲れて断念する。



◆凌雲閣跡

こちらパチンコ屋さんの前に設置されている。




 1890年(明治23年)11月27日。この地、台東区浅草2丁目14番5号辺りに浅草凌雲閣(通称:十二階)が完成。設計は東京の上水道設計者でもある英国人ウィリアム・K・バルトンが担当。当時としては超高層の八角形12階の建物で、1階から10階までが煉瓦積、11・12階が木造で、屋根には風見の付いた避雷針がのり、8階までは日本で最初の電動エレベーターを設置、各階には凡そ50の店が軒をつらねた。最上階の12階には30倍の望遠鏡が設置され、隅田の流れからお台場を映し品川沖の海、遠くは筑波、秩父の山々が望めたとされる。観覧料は大人8銭(現在の約700円)子供4銭であったが高所から東京を一望しようという人が押し寄せ、東京随一の観光名所となった。開業から33年の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で破壊され、その幕を閉じた。
 明治・大正の33年間、多くの人達にときめきと感動をあたえ、一世を風靡し浅草の振興に貢献した浅草凌雲閣、その跡地に記念碑を設立し後世に記録として残します。






浅草ひさご通り商店街







◆感応稲荷神社



境内社



鳥居





◆旧浅草芝崎町





旧浅草芝崎町
 明暦三年(1657)の大火後、日輪寺、天獄院、東光院称往院等の寺院がこの地に移ってきた。その後次第にこれらの寺院の前に町屋が形成され、門前町ができた。
 明二年(1869)になると、このうちの日輪寺および東光院門前町が合併され本町は誕生した。そして同五年にこれら四カ寺を合併して田域を広げた。さらに明治十一年には、浅草新谷町の南倒と浅草千束町一丁目の一部を合併して三丁に分けられ、本町は確定した。 
 町名のいわれは、むかし日輪寺が芝崎村(現千代田区大手田付近)にあつたことから、当地に移転したあとも芝崎道場と呼ばれたのにちなんでいる。、
 本町の東側にある広い通りが「国際通り」。以前、町内に「国際劇場」があったことで名付けられた。現在、その編地には超高層ホテルが建ち、浅草の新名所になっている。




◆旧浅草国際劇場




SKD(松竹歌劇団の本拠地として1937年(昭和12年)に建てられた国際劇場。連日華麗なショーが催され、多くの歌手や俳優がこの地から誕生しました。国内最大級の劇場として人々を魅了しましたが、1982年(昭和57年)に、惜しまれつつ輝かしい歴史の幕を閉じました。現在、その跡地に建っているのが「浅草ビューホテル」です。



続く。