2020/04/09 梅屋敷散歩 02 ゆ~シティ蒲田/福の湯/薭田神社/栄林寺/圓頓寺/寿湯/椿神社

どんどん東へ進んでいく。


◆ゆ~シティ蒲田




黒湯の温泉とあるが、入浴料が銭湯並みなので、おそらく銭湯だろう。




◆福の湯




銭湯♪
しかし、大田区は本当に銭湯が多いね。




◆薭田(ひえた)神社




 式内社(しきないしゃ)と呼ばれる古い格式をもつ神社である。平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式(えんぎしき)』の神明帳(しんめいちょう)に記載され、また『三代実録(さんだいじつろく)』に貞観六年(864)「武蔵国従五位下蒲田神を以て並びに官社に列す」とあるのが、この神社であろうといわれる。
 社伝によれば、和銅二年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を刻んで安置L、鎌倉時代(十三世紀後半)に日蓮が村民の請いをいれて開眼したと伝えられる。江戸時代(十七~十九世紀後半)には隣接の栄林寺が別当であったが、明治初年(十九世紀後半)の神仏分離により独立し、旧社格は郷社に定められた。



三十番神



稲荷神社



薬祖神社






鳥居




 花崗岩(かこうがん)製、明神型鳥居。高さ310cm、柱間(はしらま)314cm。
 笠木は、全体にゆるやかな反りをもって、柱とのつりあいもよく、安定した姿を見せる。
 柱背面の銘文から、寛政十二年(1800)、北蒲田村の氏子により寄進されたことがわかる。区内の鳥居では古いもの の一つであり、貴重である。
 また一方の銘文には「蒲田井郷薭田神社」と刻まれる。蒲田井は「ほたい」と読むといい、薭田神社は蒲田神社と呼ばれたと伝えられる。蒲の古字といわれる薭の字が当てられたことから、「ひえた」の発音に変化したと考えられる。





枝垂桜かな?
もう少し早く来ればよかったね。



◆栄林寺

門が閉ざされていたので外から参拝。




圓頓寺

こちらも門が閉ざされていたの外から参拝。
下の説明板を望遠で撮った。


行方弹王 直清供 塔

 仃方弹正直清は、後北条氏の室臣で、この辺りの六郷領を支配していた。
 直清は天正十八年(1590)の豊臣秀吉小田原征伐の際に討ち死にしたと伝えられる。当寺は行方弹正の居屋敷跡で、その中興開祖でたある日芸(にちげい)(寛永二十年 (1643没))が、直清の供養 のためにこの塔を建立したことが、 碑面に刻まれた銘文からわかる。
 寺伝によれば、日芸は直清の弟で、出家後、旧宅を寺院とし、その中興開祖となった。



◆寿湯




銭湯♪





椿神社




 風邪、百日咳、監息などにかかると、境内の額堂に奉納されている麻を借り受けて、病人の首に巻くと咳が止まると言い伝えられ、病気が治ると、祈願
者は新しい麻を奉納するという現世利益的な習俗が行われている。
 しかも神社であるのに、祈願者は社前に線香を供えるという神仏混交の習俗が、今なお存続している例として興味深いものがある。
 また、かつては足の病気が治るようにワラジを奉納して祈願するものもあったという。
 神社の祭神は、猿田彦命とされているが、本来は道祖神(道や旅人を守護する神)をまつったもので、土地の人は「ドウソジンサマ」「ドウロクジンサマ」
と呼んできた。





以前来たことがある神社だ。
2017/03/05 part3 梅屋敷散歩 梅屋敷公園/椿神社 - ovanの社会科見学




続く。