フラフラしながら西へ進む。
目黒通りの少し南側エリアとなる。
石ころが多い坂だったので、石古坂とよぶようになったといわれる。 また、この近くに石河(いしこ)という屋敷があったので、坂名になったともいわれる。
目黒不動坂みち散歩は、目黒駅から武蔵小山駅までの約3.0kmのみちのりです。石造五百羅漢の大円寺江戸五色不動の一つである目黒不動尊そして林試の森を通ります。坂のある、寺と緑の散歩道です。
不動界隈の今昔
日黒不動が降盛を他めていた江戸時代、その周辺は門前町、江戸の行楽地として大いに栄えました。なにしろ娯楽の少ない昔のこと。行楽と参詣を兼ねて、多くの人々が「お不動さん」を訪れ、また料理店や土産物店がきっしり立ち並んで、大変な賑わいでした。寺は戦争で焼けましたが、戦後立派に再建され、お不動さんの界隈は今も賑わいを見せています。
林試の森公園の敷地の大半は、明治33年に開設されてから、昭和52年度の筑波研究学園都市への移転まで林業試験場として利用されてきたものです。
林業試験場時代の樹木を生かした整備を行い、平成4年6月1日全面開園しました。
目黒不動坂みち散歩は、自黒駅から武蔵小山駅までの約3.0kmのみちのりです。石造五百羅漢の大円寺江戸五色不動のーつである目黒不動尊そして林試の杜を通ります。坂のある、寺と緑の数歩道です。
目黒不動と林試の森
目黒不動ので親しまれている姿泰叡山滝泉寺は、大同3年(308)慈覚大師が不動明王の霊夢により、不動明王像を刻んで安置したのが起こりど伝えられます。
徳川家光をはじめ歴代将軍の崇敬を受け、また江戸五色不動の一つに数えられるとともに、谷中天王寺、湯島天神と並んで、江戸の三富といわれ、冨くじが
行われたところです。場所も台地突端の景勝地で、独鈷の滝、池などの湧水にも恵まれて、 江戸庶民の行楽地として賑わいました。不動門跡は門前町として活気に満ちていましたが、周辺は田畑と維木林でした。その武蔵野の面影を残すのが、林試の森公園です。以前は林業試験場であった所で、約320種8,000
本の樹木に覆われでいます。
林業研究発祥の地
顧みれば 明治十一年 東京府下西ヶ原で開始された樹木試験場の事業をうけて 明治三十三年この地に農商務省目黒試験苗圃が設定され 明治三十八年(1905)十一月一日 山林局林業試験所が発祥した
以来 昭和五十三年三月 農林省林野庁林業試験場として筑波研究学園都市へ移転するまで 日本の森林 林業 林産業の研究の中心として輝かしい業績をあげてきた
この間 数多くの国内外の研究者がこの地を訪れ「林業試験場」の名は 世界に広く知れわたった
林業試験場は 現在筑波の地において森林総合研究所として発展を続けている
この度 跡地に「林試の森公園」が建設されるにあたり 林業試験場の栄光をたたえ 関係者多数のご賛同を得て 記念碑を建立する
◆パプアニューギニア大使館
◆目黒区立不動住区センター
区民用の貸会議室があるようだね。
不動住区センター 目黒区
◆羅漢寺川プロムナード
羅漢寺川を調べてみた。
目黒川の支流とのことだった。
羅漢寺川 - Wikipedia
このような看板は目黒区のいたるところで見るのだが、google mapにここだけ登録しているのはなんでだろう?
目黒競馬場は、明治40年12月に社団法人東京競馬クラブによって創立され、春秋2季の競馬シーズンはたいへんな賑わいでした。このあたり一帯がその競馬場の跡で昭和7年に第1回日本ダービーが盛大に行われた地です。 その後住宅地化の波におされ敷地も手狭になったので、昭和8年に府中市に移転して東京競馬場となりました。
競馬場の跡は現在、国立教育研究所、東京学園高等学校、区立不動小学校などや住宅地となっています。
今でも住宅地の中に、当時のコースそのままに曲がっている道路が残っています。なお、目黒通りにはバス停に「元競馬場」の名が残り、商店会の人々によって「目黒競馬場跡」の記念碑が建てられています。
続く。