2021/11/03 平井・大島散歩 05 亀戸平岩公園/亀戸緑道公園/NTT城東ビル/大島らかん通り/善治稲荷神社/たま家/大島銀座通り会

西へ進み明治通りに出る。
明治通りを南下。




◆亀戸平岩公園















◆亀戸緑道公園


堅川専用協と堅川人道橋の歴史




 かつてこの場所には、路面電車が走るための『竪川専用橋』が水神森~大島間の開通に合わせ、大正十年一月より架設されていた。
 当初の運営は大正二年十月に設立された城東電気軌道㈱で、昭和十七年二月に東京市営、同十八年七月に都営となった。ところが、昭和二十年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和二十四年には区内全域が開通した。
 『チンチン電車』と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和三十年代の高度経済成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤学決算の連続となった。その結果、昭和四十七年、区内全線が廃止された。
 そして、昭和五十年、この橋は歩行者専用橋として改修され『竪川人道橋』と呼ばれるようになり、同五十四年、橋の南北の軌道敷は緑道公園に生まれ変わった。
 以来、この橋は平成七年の景観整備工事にて電をモチーフに修景され、地域の歴史を伝えるモニュメンタルな橋として地域に親しまれてきたが、老朽化が進んできたこともあり、竪川河川敷公園の大規模改修に合わせ一体整備されることとなり、平成二十三年に橋は撤去され、現在の姿となっている。
 なお、モニュメントのレールの一部は『 25系統』の亀戸九丁目で使われていたものを再使用しており、車輪は当時の写真等を参考にオブジェとしてデザインされたものである。


橋の記憶

ここには、かつて川があり、橋がありました。
橋には都電が走っていました。
時の流れとともに、都電は廃止され、高速道路が建設されました。
やがて、川は埋め立てられ公園となり、役目を終えた橋が撤去されました。
長年、みなさんに親しまれた橋の思い出を次の世代に伝えていくため、
ここに「橋の記憶」を設置します。














◆NTT城東ビル















◆大島らかん通り

商店街♪
















◆善治稲荷神社

入口がトラックで挟まれてはいれなかったので外からお参り。














◆たま家

大島らかん通りにあったお店。
中へは入らなかった。










◆大島銀座通り会

商店街♪
















続く。