2022/05/10 森下散歩 05 ジャノメビル/常盤湯/常盤二丁目児童遊園/萬年橋/旺文社/大黒稲荷神社

清澄通りにぶつかったら今度は南進。
萬年橋で小名木川を渡ったところで小名木川に沿って西へ進む。




◆ジャノメビル

こういうのもあるんだねー
蛇の目、などと一緒にWEBで調べると結構出てくる。
あちこちにあるようだが、不動産情報がメインで経緯などはわからなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
(o*。_。)oペコッ









◆常盤湯

銭湯♪










◆常盤二丁目児童遊園









◆萬年橋



小名木川水門が見える。





 万年橋は、区内の橋のなかでも古く架けられた橋のひとつです。 架橋された年代は明らかではありませんが、 延宝八年 (1680)の江戸図には「元番所のはし」として記されているので、この頃にはすでに架けられていたことがわかります。
 江戸時代には、この橋の北岸に小名木川を航行する船を取締る、通船改めの番所が置かれていました。この審所は、 寛文年間 (1661~73)の頃に中川口へ移され、このため「元番所のはし」 とも呼ばれました。
 小名木川に架けられた橋は、船の通航を妨げないように高く架けられていました。万年橋も虹型をした優美な橋で、 安藤広重は「名所江戸百景」のなかで 「深川万年橋」 としてとりあげています。 また、 葛飾北斎は 「富猿三十六景」のひとつに「深川万年橋下」 として、 美しい曲線を描く万年橋を大きく扱い、その下から富士山を望む、 洋画の影響をうけた錦絵を残しています。


川船番所

 川船番所(かわふねばんしょ)は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。
 設置の年代は明らかではありませんが、正保4年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。江戸から小名木川を通り利根川水系を結ぶ流通網は、寛永年間(1624~1644)にはすでに整いつつあり、関東各所から江戸へ運ばれる荷物は、この場所を通り、神田・日本橋(現中央区)など江戸の中心部へ運ばれました。こうしたことから、江戸への出入口としてこの地に置かれたことと思われます。建物の規模などは不詳ですが、弓・槍がそれぞれ5本ずつ装備されていました。
 明暦三年(1657)の大火後、江戸市街地の拡大や本所の堀割の完成などに伴い、寛文元年(1661)中川口に移転しました。以後中川番所として機能することとなり、当地は元番所と通称されました。


ケルンの眺め



 ここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン川の吊橋をモデルにしております。
 この場所からの眺めが一番美しいといわれています。


公園

橋のたもとは公園になっていた。




鬼平犯科帳 鰻(うなぎ)の辻売り忠八 跡



google map のマークは上の写真のところあたり。
萬年橋のすぐそばだった。
現地には説明版など何もなかった。


お店の情報はこちらのサイトにあった。
鰻(うなぎ)の辻売り・忠八: 『鬼平犯科帳』Who's Who


近くにあった地図









◆旺文社

『株式会社旺文社(おうぶんしゃ、Obunsha Co., Ltd.)は、1931年(昭和6年)に創業した教育専門の出版社。』
旺文社 - Wikipedia









◆大黒稲荷神社

中へ入れなかったので外からお参り。










続く。