2022/05/30 番町散歩 03 有島武郎、生馬、里見弴旧居跡/泉鏡花旧居跡・終焉の地/御本丸大奥石碑/帯坂/日本棋院 東京本院/ゼンセン会館/市ヶ谷駅

すこしあちこち寄り道しながら西へ進み市ヶ谷駅へ。
この辺りは以前来たことがある。
2018/01/07 四ツ谷散歩 02 泉鏡花旧居跡/有島武郎・有島生馬・里美紝旧居跡/番町文人通り/藤田嗣治旧居跡/麹町六丁目 - ovanの社会科見学




有島武郎、生馬、里見弴旧居跡



白樺派の作家・有島武郎(1878〜1923)をはじめ、有島生馬(1882〜1974)、里見紝(1888〜1983)ら作家兄弟がここで育った。彼らの父が明治29年にここを購入し、自邸とした。



 六番町は、江戸時代から明治・大正・昭和にかけて、 約400年間住宅地であり続けました。
 町内には、 番町小学校雙葉学園があり、 文教地区として落ち着いた地域の環境を形成しています。
 この六番町の歴史、文化、伝統は一朝一夕に出来たものではなく、多くの人々が永い年月をかけて、心をこめて築き上げてきたものです。
 私たちはこの街を業務ビル街ではなく、多くの人が住む街として認識し、愛しています。 人が安心して住むことができる環境は都心にとって有限で貴重な資源です。 そして、安心して住み続けられる
街であることは六番町に住む皆の願いです。
 私たちはこれからも六番町の街を大切に想い、 自分達の手で街づくりを進めてゆきます。 何代にもわたり受け継がれてきた地域の文化を守り、良好な住環境に住み続けられる権利を守るために、私た
ちは 『六番町奇数番地街づくり憲章』を宣言します。
  安心して住み続けられる街にしましょう。
 ・土地は投機の対象とはせず、 生活の基盤と考えましょう。
 ・落ち着きのある住宅地として、この街の環境を守り、育ててきましょう。
 ・住宅としての用途を引き続き維持することに努めましょう。
 ・この街に誇りを持ち、この街にふさわしい美しい街並みをつくりましょう。
 ・子供も、お年寄りも安心して歩ける安全な街にしましょう。
 ・快適に暮らせる、 ふれあいのある地域社会を築きましょう。










泉鏡花旧居跡・終焉の地

泉鏡花(1873〜1939)が明治43年から死去まで、「婦系図」のモデルでもあった愛妻すずとここで暮らした。「夜叉ヶ池」や「天守物語」などはここで生まれた。










◆御本丸大奥石碑



この石碑は、マンション建設前にあった岡村邸の庭園に置かれていたものです。
銘文によれば、江戸城大奥の繁栄を願い、弘化4年(1847)8月に造られたものです。
この場所は江戸時代を通じて、武家屋敷として利用されていました。
石碑背面には、造立に関わったと思われる人名が刻まれています。
大奥の関係者と思われますが、ここに屋敷を拝領していた人物とは異なります。
そのため、石碑がなぜここにあるのかは不明です。
後世に庭園を造る際に持ち込まれたものと思われます。
前土地所有者の岡村さんのお話によれば、戦後にここを購入した時には既に石碑はあり、背面に「岡村」と刻まれていたため、大切にされてきたと言うことです。











◆帯坂




 江戸時代の有名な怪談 番町皿屋敷」に登場するお菊が、髪を振り乱して帯を引きずりながら通ったという伝説から名付けられたと言われますが、話の中ではお菊は殺害され井戸に投げ込まれているので、辻褄が合いません。別の説では、お菊ではなく「東海道四谷怪談」のお岩が通ったとも言われており、広く知られた怪談話に由来するという点では一致しています。
 また、寛永年間(一六二四~一六四三)の外堀普請の後に、市ヶ谷御門へ抜ける道として造成されたため、切通し坂の
 別名もあります。










日本棋院 東京本院

『公益財団法人日本棋院(にほんきいん、英: The Nihon Ki-in)は、東京都千代田区五番町(市ケ谷駅前)に本部をおく、囲碁棋士を統括し、棋戦をおこなっていくための公益財団法人。約300人の棋士が所属するほか、職員として事務員や棋院発行の出版物をまとめる記者などが所属している。』
日本棋院 - Wikipedia











◆ゼンセン会館

『1946年(昭和21年)、繊維業の企業別労働組合を単位組合とする全国繊維産業労働組合同盟(ぜんこくせんいさんぎょうろうどうくみあいどうめい、略称:全繊同盟)が結成され、斎藤勇が初代書記長に就任する。日本労働組合総同盟(総同盟)に加盟する。
1950年(昭和25年)、日本労働組合総評議会(総評)の結成に伴い、総同盟を脱退して総評に加盟する。1953年(昭和28年)、総評を批判して脱退して全日本労働組合会議(全労会議)を結成する。
1954年(昭和29年)、近江絹糸紡績での前近代的労務管理が明らかになり、近江絹糸民主化闘争本部を設置し、従業員を組織化し105日間にわたるストライキを指導。全面的勝利を勝ち取る。
詳細は「近江絹糸争議」を参照
1964年(昭和39年)、全労会議を解散し全日本労働総同盟(同盟)を結成、加盟する。
1969年(昭和44年)、長崎屋、ジャスコ、ニチイなどのスーパーの労働組合が加盟。組織化の対象をスーパーに広げ、後のサービス業全般の組織化の第一歩を踏み出す。
1974年(昭和49年)、ゼンセン同盟と改称する。
2000年(平成12年)、介護保険法施行にともない、介護クラフトユニオンを設立してゼンセン同盟に加盟する。大手介護事業者を中心に組織化される。
2002年(平成14年)、日本化学・サービス・一般労働組合連合(CSG連合)、日本繊維生活産業労働組合連合会(繊維生活労連)と統合し、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟UAゼンセン同盟)を結成する。 』
ゼンセン同盟 - Wikipedia










市ヶ谷駅

JR総武線市ヶ谷駅













おそらくだけど、以前散策したときより史跡の説明版が増えてる?
ような気がする。
google mapでいろいろ探してみるとさらに今まで巡ってない坂や史跡などが出てきた。
またいろいろ散策しなきゃだね!