2022/08/05 赤坂散歩 03 ㈱文藝春秋/清水坂/紀尾井町ビル/紀尾井町遺跡/麹町駅/麹町大通り案内図

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/05/210000





◆㈱文藝春秋

右側の手前から2番目のビル。
良い角度が見つからなかった・・・。

『 1923年(大正12年)1月、文藝春秋社として菊池寛が創業。
1946年(昭和21年)3月、「戦争協力」のため解散したが、佐佐木茂索をはじめとする社員有志により同年6月、株式会社文藝春秋新社が設立される。
1966年(昭和41年)3月、現在の社名に改められる。
芥川賞直木賞をはじめ、多くの文芸賞を手がけている。 過去には東京12チャンネルにて1968年(昭和43年)から1981年(昭和56年)まで放映されていた、各界著名人の生涯を紹介する『人に歴史あり』に協力していたこともある。
1968年(昭和43年)まで労働組合は存在せず、社員会であった。組合が結成されたのは、時の社長池島信平が日本文化会議の機関誌を発行しようとして社員会が反発したのがきっかけ。池島はその代替として『諸君!』を創刊し(のち2009年休刊)、以降は保守派の出版社というイメージが定着している。
本館が文藝春秋本社であり、新館と西館がテナントビルである。新館はプランテック、日本文藝家協会シティリビング三井物産マーケティングなど10社程度が入居、西館は地下1階に文春ホール、1階にHRTニューオータニ運営の「ラウンジ春秋館」、6階に談話室・執筆室のほかは日本民間放送連盟が入居している。 』
文藝春秋 - Wikipedia









清水坂

坂上



坂下。



紀州藩麹町邸の北側にある坂で、坂下を南北に走る道筋が清水谷に下ることから、清水谷坂と名付けられました。









紀尾井町ビル
[oo]
森ビルなんだね!
森ビルの賃貸オフィス|森ビル株式会社-Mori Building









紀尾井町遺跡



説明版が喫煙所の中にあるらしい。
ちょっとこの中に入るがの嫌だったので帰ってからWEBで調べた。

『ここ紀尾井町ビルの敷地は、江戸時代、 徳川 「御三家」の中の紀州藩邸の一部でした。
 昭和61年7月からこの敷地を発掘調査した結果、 ここに展示してある石積みや当時の土木技術を知るうえで貴重な構が発見されました。また、藩邸内の生活の一部をうかがわせるや地下数十メートルから、 縄文時代・弥生時
代の遺物も多量に出しました。
 この地は、千代田区の歴史を理解するためには重要な造跡であり、これを永く後世に伝えます。』









麹町駅

東京メトロ有楽町線麹町駅









◆麹町大通り案内図

新麹町の人々
 元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士たちが吉良邸に討ち入りました。 この事件は、多くの人に深い感銘を与え、今なお歌舞伎や浄瑠璃の脚本に「忠臣蔵」の題名で登場しています。
 浪士たちの一部は、討ち入り数か月前から身分を隠して、当時の新麴町(現在の平河町)に住み始めました。 新麹町四丁目 (平河町1-8と9) には小野寺幸右衛門ら7人、新麹町四丁目裏町には千馬三郎兵衛ら5人、新麴町五丁目 (平河町1-1と2) には富森助右衛門、新麹町六丁目 (平河町1-326)には吉田忠衛門ら5人が住んでいました。 「忠臣蔵と麴町」、 案外
知られていない歴史の1こまです。










続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/05/220000