2022/11/02 早稲田散歩 03 専念寺/山吹坂/大聖院・西向天神社(東大久保富士)/弁天湯/富久町児童遊園/山崎商店

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/02/190000






◆専念寺


六地蔵


石塔など


山門







◆山吹坂

坂下。



坂上



 この坂上の大聖院境内にある「紅皿の碑」にちなみ、こう呼ばれるようになった。紅皿は太田道灌の山吹の里伝説で、雨具がないことを古歌に託して、道灌に山吹の一枝を捧げた女性である。







◆大聖院・西向天神社(東大久保富士)

情報量が多いので別のページで。
2022/11/02 大聖院・西向天神社(東大久保富士) - ovanの社会科見学







◆弁天湯

銭湯♪








◆富久町児童遊園


刑死者慰霊塔

富久町児童遊園内にあった。

『市谷刑務所(いちがやけいむしょ)は、かつて存在した日本の刑務所である。1922年までは「東京監獄」と呼ばれていた。
近接して別に「市谷監獄」があった。1903年-1910年(明治36-43年)の間、両者が並存していたことになり、しばしば混同されてもいる。 』
『東京監獄のルーツは皇居近くの鍛冶橋にあった警視庁鍛冶橋監獄署である。1903年内務省(警視庁)から司法省に移管され、東京監獄と改称。同年6月、東京駅建設のため鍛冶橋より東京市牛込区市谷富久町(現在の新宿区富久町)に移転し、同年7月1日より事務を開始[1]。1922年(大正11年) 「市谷刑務所」と改称された。
当初は未決囚を拘置し、裁判所へ送致することが主な目的であったが、その後既決囚を収容するに至り、死刑囚の収監と処刑も行っていた。当時の文献類で「市ヶ谷の未決監」等とあるのは「東京監獄」のことである。
1937年(昭和12年)、巣鴨刑務所の跡地に移転し、その際に東京拘置所と改称された。 』
『現在の靖国通り住吉町交差点から市谷台町へ登る坂は、市谷刑務所への入り口であり『刑務所通り』と呼ばれていた。 現在の坂は、住吉町交差点から見て右側に、もともとの道幅の約倍の幅に拡張されている。 現在の坂の中央部から左側(左車線)が、もともとの『刑務所通り』にあたる。
刑務所跡地の一部は現在『富久町児童遊園』となっており、公園内の刑死者慰霊碑が立っている場所に処刑場があったと言われる。碑は1964年(昭和39年)、日本弁護士連合会が建立したものである。 』
市ヶ谷刑務所 - Wikipedia








◆山崎商店

お店はもうやってないみたい?
レトロな建物だったので撮影。







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/02/200000