2022/11/13 健康ウォーク2022 02 天神橋/城山公園/ヤクルト中央研究所/ハケ下散策路/南養寺/滝乃川学園/中平一号踏切

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/13/223000




◆天神橋





くにたち 農の風景 そぞろ歩き

ハケ用水のある農の風景
○約2万年前に出来た立川段丘と約1万2千年前に出来た青柳段丘の段丘崖(だんきゅうがい)はハケと呼ばれ、 砂礫層が露出するハケ下からは一年中水が湧き出ています。
○南部に広がる低地では、 多摩川の水を利用した府中用水が引かれ、水田地帯となってハケの緑のベルトと一体の農の風景が特徴となっています。

■歴史を継承する府中用水
○府中用水は古多摩川の流路を利用して江戸時代の初期に開削されたと考えられています。
○府中用水は、農林水産省が定めた疎水百選に選ばれており、多摩川流路図(原図は菊池山哉氏による) されています。
○明治33年(1900) に設置された取水樋門は、その後昭和初期に改修されますが、 多摩川筋最大かつ最古で、石造の樋門は非常に貴重とされています。

■水と緑の生き物たちの回廊
○水田に水を引き入れると、田んぼにはドジョウやギンブナ、水路にはオイカワやカマツカ等がやってきます。 そっとしておいてあげましょう。
ハケの森と用水、水草がそろっている環境のため、多くのハグロトンボが育っています。
○湧水の川、用水、 ハケの森の多様な環境によって水と緑の回廊が形成され、 様々な種類の生き物が生息できる農の環境となっています。






◆城山(じょうやま)公園



城山(東京都歴史環境保全地域)

薄くなって読めない字があるため文字化を断念。







◆ヤクルト中央研究所

調べてみると見学ができるみたいだね。
コロナ渦で休止しているようなので、復活したら申し込んでみよう!

ヤクルト中央研究所






ハケ下散策路



つながる小道でふれあいが生まれる

 この緑道は、国立市城山南地区の地区計画によって(株) ヤクルト本社が設置し、 国立市が管理しているものです。北側の緑豊かなハケ(青柳崖線)、 そこに自生する植生などを参考に周辺の自然環境に溶け込むよう計画され、一周約700mの遊歩道によって、 近隣に点在する城山公園や、 古民家、体験水田、府中用水、ハケの湧水路などの見どころをつないでいます。
 また、東側の遊歩道に沿って設置した導水路は、府中用水から取り込んだ水を国立市の体験水田へと導く大切な役割を担っています。






◆南養寺



南養寺
 南養寺は、谷保山と号し、禅宗臨済宗建長寺派の寺院です。開山は建長寺三十七世真照寺大定禅師物外可什大和尚(貞治二・1363年没)で、開基は立川入道宗成と伝えられます。

本堂
 現在の本堂は、文化元(1804)年に地元の大工佐伯源右衛門、北島安右衛門等によって建築されました。昭和五十六(1981)年に修理が行われた時、屋根は入母屋造りの萱葺から銅板葺に変えられました。禅宗の方丈型本堂として、当市における貴重な建造物です。本尊は釋迦如来座像です。

大悲殿
寛政五(1793)年に、千丑(城山の東方向の地域)にあった藤井山圓成院の観音堂を移築したものです。
屋根は宝形造りの銅板葺です。観音堂は、矢澤大堅がその師実山道伝より贈られた「十一面千手観音座像」(市指定有形文化財)を安置するため、享保三(1718)年に建立したものと伝えられています。
また、現在は壁面に移動されている天井画は相沢五流の手によるもので、二十八部衆を描いた壁画と共に、絵画としても優れており、大悲殿を一層貴重なものとしています。

総門
安永九(1780)年に地元の大工佐伯源太によって建築されました。形式は薬医門、屋根は切妻造りで銅板葺です。前南禅総録司大川祟達の書による「谷保山」の扁額を掲げています。建立は、江戸後期における南養寺伽藍整備の一環を示す貴重なものです。

鐘楼
天明八(1788)年の建立で、屋根は入母屋造りで銅板葺です。関東大震災による被害の復旧が行われた大正十四(1925)年に、萱葺からトタン屋根に変えられ、さらに、昭和五十六(1981)年の修理時、現在の銅板葺になりました。
梵鐘は、安永六(1777)年、谷保鋳物三家(関・森窪・矢澤)の関氏によって鋳造されたものです。

庭園
本堂の北面にある約一〇〇〇平方メートルの庭園で、生垣をもって背景を区切り、西側に築山を設け、植栽を主としています。禅宗の自然観を表すといわれる枯山水様式です。作庭年代は、天保七(1836)年から天保十(1839)年頃と推測されます。


大悲殿


鐘楼


山門






◆滝乃川学園

『日本で最初の知的障害児者のための教育・福祉施設である。なお、日本のみならず、東洋ないしはアジア初の知的障害児者対象の近代的教育・福祉施設でもある。恩賜財団ではないが、皇室との深い関係も知られている。
「滝乃川」の名称を冠しているのは、学園創立の地である東京都北区滝野川に因む。なお、当学園が、日本で初めて「学園」という語を発案し、使用したと言われている。 』
滝乃川学園 - Wikipedia






◆中平一号踏切

JR南武線の踏切。








続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/13/233000