2023/02/19 清瀬・東小金井散歩 09 青面金剛庚申塔/都営前沢二丁目アパート/まえさわ小町商店会・ブラックジャックマンホール/北多摩陸軍通信所跡/三軒道公園/法善寺/稲荷神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/19/163000




青面金剛庚申塔



 江戸時代に盛んになった民間信仰の一つに庚申信仰があります。 六十日ごとの庚申の日の夜、眠っている人の体から三戸虫が脱け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。そこで、人
々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。
 庚申供養塔は、その信仰を表わすもので、江戸時代中頃から造立が盛んになりました。
 この庚申塔は元禄六年(一六九三)の造立で、主尊として青面金剛・上部左右に日月台座には、三猿が配されています。
 通称「榎(えのき)の庚申」とよばれています。






◆都営前沢二丁目アパート






◆まえさわ小町商店会・ブラックジャックマンホール

まえさわ商店街♪


ブラックジャックマンホール

まえさわ商店街内にあった。






◆北多摩陸軍通信所跡



 この場所には、昭和8年(1933) から同20年(1945) まで、 海外無線の傍受を目的とする陸軍の通信所がありました。
 当時の住所は久留米村前沢1470番地で、 当初は1500坪 (4,950㎡²) の敷地に45m 自立式鉄塔4基 (逆L字型空中線) と受信所が建設されました。 その後の増設により、昭和19年(1944) には敷地面積12万坪に及ぶ海外無線傍受の中心的な施設となり、高速・低速受信機など53台と千数百人に及ぶ人員を要していました。
 昭和18年8月には 「陸軍中央特殊情報部通信隊」と改名され、 歴史に残る数々の重要な通信の傍受と解読にあたりました。
 戦後、 敷地の大部分は民間に譲渡され、当時の施設は現存しませんが、 通信施設の中心部分であった受信所や官舎のあった部分の区画は、道路などでほぼその形状を留めています。 旧跡指定は東久留米市の所有地部分のみです。






◆三軒道公園





◆法善寺





◆稲荷神社







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/19/173000