2023/03/27 一人花見 上野公園/弁天池/飛鳥山公園/醸造試験所跡地公園/門と蔵のある広場/旧丹羽家腕木門/旧丹羽家住宅蔵/染井西福寺/染井稲荷神社/染井よしの桜の里公園

お休み♪
朝早くから一人花見!




上野駅

スタートの上野駅








◆上野公園
マイヒメ



マイヒメ (舞姫)
 公益財団法人 日本花の会創立50周年を記念し作出・ 命名された桜です。
 日本花の会の桜見本園にある八重紅枝垂に実った種子から生まれました。
 染井吉野の後に、 葉に先立って淡紅色の八重咲きの花を咲かせる美しい桜です。
茨城県結城市にある日本花の会の農場でヤエベニシダレを基に品種改良。
農林水産省が2011年8月、 品種登録した。










◆弁天池


















王子駅



都電王子駅前駅。



王子駅駅前ロータリー。






飛鳥山公園











れすとらん館&展望広場



オープンして間もないね。






醸造試験所跡地公園・旧酒類総合研究所








石神井川沿いの桜並木







◆音無親水公園














駒込駅






◆門と蔵のある広場



染井よしの(ソメイヨシノ染井吉野)
 この公園の周辺は、江戸時代に染井村と呼ばれ、多くの植木屋が軒を並べ、 菊やつつじなど四季折々の花々を楽しめる名所地として有名でした。
 「染井よしの」は、オオシマザクラエドヒガンの品種を改良してつくられたといわれ、幕末期から明治初期に「染井」から全国に広まっていきました。
 ここ駒込の地が、「染井よしの」 の発祥地であることを、新たに誕生した公園から、全国に、そして世界に発信していきます。
 なお、「染井よしの」 桜は、 昭和48年「豊島区の木」に、昭和59年 「東京都の花」 に指定されています。




染井植木の里
 豊島区駒込三・六・七丁目付近は、昔、桑井荷と呼ばれており、江戸時代から木の一大生産地として知られていました。嘉永七年(一八五四)に発行された「江戸切絵図」に「此辺染井植木屋多シ」と書かれるなど、植木職人が数多くんでいた地域です。
 万延元年(一九〇)に乗したイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは、この辺りの様子について、「交互に樹々は庭、恰好よく刈り込んだ生け垣がつづいている。公園のような景色に来たとき、随行の役人が桑井村にやっと暑いた、と報せた。そこの村全体が多くの国で網羅され、それらを連絡する一直線の道が一マイル(約一・六キロ)以上も続いている。私は世界のどこへ行ってもこんなに大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。(『江戸と北京」と遊べています。
 この土地のもの所有者である丹羽家は、天明年間(一七八〇年代)から明治後期まで、この染井を代表する植木屋として活躍していました。代々「茂右衛門」
を襲名して、造り莉、石菖、菊、ツツジなどを得意とした植木屋です。 津海堂家や尾張藩などの大名屋敷にも出入りするなど、民家にも信用を得ていました。
 九代目茂右衛門(明治二九年生れ)の代で植木屋をやめましたが、当地域の家と敷地内にある円は、江戸時代後期の創建で、豊島区の指定有形文化財となって
おり、昭和一一年に建てられた風な国の登録有形文化財になっています。






◆旧丹羽家腕木門



旧丹羽家腕木門
 旧丹羽家の門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式で、簡素な構造ですが格式のある門です。
 この門の建築年代を明らかにする記録はありませんが、言い伝えによれば、染井通りをはさんで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したといわれています。
 当初の部材と考えられる親柱には和釘が使用され、風蝕もかなり進んで木目が深く浮き出ています。また、都内の類例と比較して大名家の裏門として使われても不思議はない規模と構造といえます。解体工事の過程で墨書が発見され、弘化四年(一八四七)、嘉永六年(一八五三)、安政六年(一八五九)の三回修理が行われていたことが判明しました。少なくとも建築年代は弘化四年以前ということになります。
 この門が丹羽家の所有になった年代ははっきりしていませんが、当時は、染井通りに面して建っており、丹羽邸内に移築した時と、染井通り側にマンションを建てるため現在地に曳屋(建物を解体しないで、そのまま場所を移動させること)した時の少なくとも二回移動しています。また昭和一〇年(一九三五)の主屋の増改築とあわせて門の屋根を、柿葺き(薄い木片を重ねて敷きつめた屋根)から瓦葺きに葺き替えたといわれています。
 一方、親柱、冠木、袖戶、両開き扉などは杉で当初からの部材と考えられ、板扉に見られる技法から、建築当時の姿を概ね残しているといえます。
 江戸時代の腕木門としては区内で唯一の事例であり、植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として長年地域の人々に親しまれています。
 このように、染井の植木屋として活躍した旧家の遺構である旧丹羽家腕木門は、豊島区における貴重な文化遺産であることから、平成一九年八月三日、豊島区指定有形文化財になりました。






◆旧丹羽家住宅蔵



 この蔵は、丹羽家に残されていた記録から、昭和一一年(一九三六)の建築であることがわかっています。もとは主屋の北側に木造二階建ての蔵が建っていましたが、八代目茂右衛門が、九代目の結婚の際に主屋の増改築とあわせて、鉄筋コンクリート造りのこの蔵に建て直しました。
 蔵は出入口を東面に設け、増築した六畳間と廊下で主屋とつながっ っていました。出入口の観音開きの鉄製扉の内側に家紋(五三桐)が付いています。また扉上部と両脇の柱に大理石が貼られるなど、装飾に気を使っている点が注目されます。
 外壁は、昭和初期の土蔵や店舗などに多く用いられた工法である、モルタル下地に大理石の砕石粒洗出し仕上げになっています。また外壁の腰巻、水切り、雨押え、鉢巻などの細部や、窓の庇の銅板葺きなどに職人の丁寧な仕事ぶりがえます。
 蔵の内部は、地下に収納庫を設け、床板には檜板を用い、壁はモルタル下地に漆喰塗りで仕上げています。特に一階の天井や梁(はり)化粧面取りなどに当時の左官技術がよく表れており、意匠的にも優れています。
 このように、旧丹羽家蔵は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造でありながらも、細部には職人の技術や建築主のこだわりが見られます。 建築後七〇年以上が経過していますが、昭和初期の建築当時の姿を残しています。
 これらの点が評価され、平成二十年(二〇〇八年) 三月七日に国の登録有形文化財建造物になりました。






◆染井西福寺

別のページで。
2023/03/27 染井西福寺 - ovanの社会科見学


境内脇の桜






◆染井稲荷神社


境内社


境内社


鳥居






◆染井よしの桜の里公園



染井よしの
 この公園の周辺は、江戸時代に染井村と呼ばれ、多くの植木屋が軒を並べ、 菊やつつじなど四季折々の花々を楽しめる名所地として有名でした。
 「染井よしの」は、オオシマザクラエドヒガンの品種を改良してつくられたといわれ、幕末期から明治初期に「染井」から全国に広まっていきました。
 ここ駒込の地が、「染井よしの」の発祥地であることを、新たに誕生した公園から、全国に、 そして世界に発信していきます。
 なお、「染井よしの」 桜は、 昭和48年 「豊島区の木」 に、昭和59年 「東京都の花」 に指定されています。






この後駒込駅まで戻って電車で帰宅。
早い時間に動いたので、ゆっくりお花見することができた。