2023/03/29 海岸寺





 この地はもともと江戸南泉寺の抱地で、宝林庵という小庵がありましたが、享保年間にこの地一帯に移住した農民の熱心な要望により、 元文元年(1736)10月、越中 (現富山県) 国泰寺の末寺で武蔵国秩父郡三峰山境内にあった海岸寺を引寺して成立したものです。
 その後元文4年(1739) 江戸濟松寺(せいしょうじ)の末寺となり、同七世頑石慧堅禅師(がんせきえげんぜんじ)を中興開山として瑞雲山(ずいうんざん)海岸寺の基を確立し、濟松寺の弟子だった円備首座(えんびしゅざ)の遺金を基金として天明3年 (1783) に本堂が建立されました。
宗派  臨済宗 妙心寺
本尊  正観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)






六地蔵






◆像

左側は子安地蔵尊とあるが右側の観音様はとくにお名前が確認できなかった。






◆堂宇






◆松

かなり立派だね!






◆馬頭観世音/庚申塔






小金井桜樹碑



 武蔵野の名勝地8か所を紹介する「武埜八景」を著し、 その中で「金橋櫻華(きんきょうおうか)」として小金井桜を選んだ江戸時代の漢学者大久保挟南(おおくぼきょうなん)が、 武蔵野新田世話役の川崎平右衛門定孝の桜植樹の功績や、 桜の花による玉川上水の解毒作用等を誤りなく後世に伝えるため、平右衛門の孫等とはかって建立を計画したものです。
 碑は文化7年(1810)に完成しましたが、碑文を書いた挟南は碑の完成を見ることなく、前年に没しました。
 かつては現在の位置より約100メートル東の秋葉社の前にありました。






◆山門



 総ケヤキ造りで、 本柱の前後に二本ずつの控柱を伴う四脚門です。
 鎌倉時代禅宗様の建築様式が取り入れられたこの山門は、 本堂と同じ天明3年(1783) 頃、 鈴木新田の大工の家に寄寓していた渡り大工が作ったものといわれています。
 本柱上の枠組み、 破風流れの屋根構え、カヤ葺は、 近隣には類例のない珍しい貴重な建物と言われています。
 現在はわずかにその痕跡をうかがうことができるだけですが、 天井板には、 黒雲を割って天翔る龍の絵が描かれていました。





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