2023/07/04 落合散歩 02 四の坂/蘭塔坂通り(二の坂) /延寿東流庭園/旧石橋湛山邸/中井出世不動尊/ごりょう坂通り/坂上通り(バッケの坂)

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/07/04/210000




◆四の坂

以前来たことがある。
2017/06/29 中井散歩 02 「一」〜「八」の坂/味覚庵/双葉園/大正橋/ぺいざん - ovanの社会科見学





◆蘭塔坂通り(二の坂)




かつてこの坂の途中に墓地があり、蘭塔と呼ばれる卵形の塔婆があり、多くは禅僧の墓標として用いられた。





◆延寿東流庭園

HPがあった。
延寿東流庭園 ― 島峰徹ゆかり…東京都新宿区の庭園。 | 庭園情報メディア【おにわさん】



園名の由来
島峰徹(とおる)は、東京帝国大学医学部を卒業後、ドイツ留学を経て現在の東京医科歯科大学の前身である東京高等歯科医学校を昭和三年に創立し、初代の校長に就任した人である。
昭和初期から昭和二十年に没するまで、「目白文化村」といわれるこの地に居住していた。
 徹は、歯科医学の向上に心を尽くし、大正三年に日本の歯科医学会で最初の医学博士となり、昭和五年にはプレスロウ大学よりドイツの最高学位ドクトルメディチーネデンタリエホリノスカウザー(名誉歯学博士)を、さらに昭和十一年にはドイツの最高表彰であるローテルクロイツ勲一等を授与されて、医学の発展のために生涯を捧げた。
 その遺業を記念するために嗣子である東京大学名誉教授故島峰徹郎の遺志を受けて、妻元子がここに「目白文化村」の面影を残したいと考え、この地を庭園とした。
 徹は、また書をよくし、雅号を東流(とおる)と称して数々の書を遺しているが、そのなかに、延寿客(えんじゅかく)というものがある。
これは菊の別名で、古来九月九日を重陽(ちょうよう) または菊の節句と呼び、この日に長寿を願い、祝う風習があったのに由来するものと思われる。
 これに因んで、この庭園を「延寿東流庭園」と名づけた。
この説明板は、寄贈者の意向を受け、新宿区が設置するものである。





◆旧石橋湛山

『石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。
大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短さである。
早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた(1957年10月20日授与)。 』
石橋湛山 - Wikipedia





◆中井出世不動尊



 江戸時代の遊行僧円空(ゆぎょうそうえんくう)(1632~1695)の作で、不動明王(像高128cm)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)(像高64cm)、制咤迦童子(せいたかどうじ)(像高67cm)の三体からなり、不動明王には火焔光背と台座、二童子には台座が付属している。
 三体は、江戸時代後期に、円空生誕の地に近い尾張国一宮の真清田神社より移され、明治時代後期まで中井御霊神社の別当寺である不動院に安置されていた。
彫法は、円空の素木を生かした作風を良く示したもので、都内伝存の円空仏としては唯一の発見例である。
 なお、毎月二十八日の午後一時から三時まで開帳している。






◆ごりょう坂通り






坂上通り(バッケの坂)

坂上



坂下。



この地域の斜面は古くからバッケと呼ばれており、この坂は坂下のバッケが原への近道であったため、バッケの坂と呼ばれていた。





続く。
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