2023/07/10 宗柏寺


尾形宗柏(寛永7年(1630年)没、尾形光琳尾形乾山兄弟の祖父)が現在地(当時は武蔵国豊島郡牛込村)に創建した草庵が起源。寛永8年(1631年)の興正院日意(尾形宗柏の子で大僧都)によって父の菩提供養のために堂宇の建立が開始された。寺号は父尾形宗柏の名にちなみ、山号は母(本阿弥光悦の姉)の法号一樹院法興日順にちなむという。元文5年(1740年)御三卿の一つ一橋家の祈願所となった。天保13年(1842年)日永(16世)により諸堂改修が行われた。嘉永4年(1851年)火災が類焼し焼失した。
宗柏寺 - Wikipedia




◆稲荷祠




google mapを見ると他に二つの史跡などが認められる。
平将門一族之霊位
平将門のゆかりがあるものと思われるが、WEBで調べても詳しいことがわからない。
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。

井上清直の墓
天保13年(1842年)に寺社奉行吟味役、弘化4年(1847年)に勘定組頭格(この時点で御家人より旗本へ昇格)を歴任する。
安政2年(1855年)、老中・阿部正弘の信任を得て下田奉行に就任。家禄200俵高に家格上昇。翌年にアメリカ総領事・ハリスが下田に来航すると応接を担当し、ハリスの将軍・徳川家定への謁見や日米修好通商条約討議に奔走する。安政5年(1858年)に岩瀬忠震と共に幕府交渉役として日米修好通商条約に調印し、間もなく外国奉行を兼任してロシア・フランス・イギリスとも通商条約を締結した。安政6年(1859年)、将軍継嗣問題で一橋派に属していたため、南紀派の大老井伊直弼によって一時小普請奉行に左遷されるも、間もなく軍艦奉行となり、海軍拡張に尽力した。
文久2年(1862年)、南町奉行に就任するが、翌文久3年(1863年)に水野忠徳と共に小笠原長行の率兵上京に従ったために免職となる。元治元年(1864年)に3度目の外国奉行となり、勘定奉行公事方に転任。慶応2年(1866年)に関東郡代となり、同年に北町奉行に転任して混乱する江戸の収拾に努めるなどした。翌慶応3年12月25日(1868年1月19日)、現職のまま死去。享年60。墓所は東京都新宿区の宗柏寺。 』
井上清直 - Wikipedia




◆山門




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