2023/10/05 稲荷神社(上鈴木稲荷)


『創建年代は不明である。ただ鈴木稲荷神社とともに鈴木新田の鎮守とされてきたことから、江戸時代中期には既に存在していたものと推測される。
1873年明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられたが、1908年(明治41年)の神社合祀により、鈴木稲荷神社に合祀されてしまった。
戦後になり、廃校となった陸軍経理学校の校内神社「若松神社」の社殿を譲り受け、1952年(昭和27年)に復祀された。 』
稲荷神社 (小平市上水本町) - Wikipedia




 この玉川上水南沿いは、かつて鈴木新田に属し、上鈴木 (現上水本町)と呼ばれていました。
 享保8年(1723) 3月、新田開発の際に親村である貫井村(現小金井市貫井町)から、稲荷神社を勧請し、 鎮守として遷祀しました。明治6年に村社に列せられましたが、明治41年に、下鈴木 (現鈴木町)の稲荷神社に合祀されました。
 昭和24年1月、地元住民の強い要望により、旧陸軍経理学校に祀られていた若松神社の社殿の払い下げを受け、再び上鈴木の鎮守の社として遷座されました。





御嵩神社/須賀神社




◆上鈴木稲荷神社の 「南天櫻」



 上鈴木 (上水本町)の氏神様である稲荷神社の境内には、昭和20年代のはじめ頃に染井吉野の実生と思われる一本の櫻が萌芽し、毎年春には満開の花を咲かせています。
 いつしか、 この櫻の根元に南天が芽吹き、今では宿り木のように櫻と南天が寄り添い合わさりながら成長を続けています。
 櫻 (サクラ)は 「サ」が 「サ神様 = 田の神・稲の神」、「クラ」が御座 (みくら) を表し、 稲荷神社の御祭神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)も稲の神様です。
 南天(ナンテン) は、古来より「難を転じる」 と言われ、江戸時代の和漢三才図絵には、庭に南天を植えておくと火災が避けられると記されています。 また、一般的には稲荷神社の社殿や鳥居は朱色が多く、 これは南天の実の赤 (朱) と通ずるところがあります。
 平成24年8月、 小平が激しい雷雨に見舞われた際に、稲荷神社本殿の覆屋に落雷があり、火災が発生しても不思議ではない状況でしたが、殊のほか被害も少なく済みました。
 これは、稲荷神社の大神様のご加護はもとより、境内の南天櫻のご利益ではないかと話題に上ることが多くなっています。




★鳥居




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