2023/10/05 本多八幡神社



本多八幡神社由緒

当本多八幡神社享保九年(1724)本多新田が開発されたとき此の里の鎮守として同十九年(1734)祥応寺の門道頂和尚を当時の黒人十六名によって山城国男山八幡神社(石清水八幡宮)を勧請。翌元文元年九月十五日創建させられたものと伝えられる。
祭祀は別当職祥応寺により司祭されていたが明治維新神仏分離令により現宮司の祖星野神職の家に受け継がれ、尊崇益々厚く栄え今日に至る。
その間明治十八年に不慮の出火で社殿焼失。
その後、約十年の歳月をかけて再建されたが既に老朽化したので昭和四十九年五月二十日神社本庁の改築の承認を得て、総経費六千万円氏子崇敬者一、一〇〇余戸の浄財により建坪二三、四坪鉄筋コンクリート八幡造りで昭和五十年二月に竣工したものである。





三峰神社



雲取山など三山を神様とし山犬が御神使とされています。
山犬様(白狼)は恐ろしく通っただけで農作物を荒らす害獣が逃げ出す事から盗賊除けをお願いし(防犯)又、御山の雲の様子見から天候安定(防災)をお祈りされてきました。
今も、有志により三峯講が代々受け継がれています。





境内社
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お祭りしている神様が分からなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>





◆神輿庫



 本神輿は、記録と伝承によると文政三年(1820)に一宮村(現多摩市)の一宮大明神(現一ノ宮小野神社) の神輿として建造され、北多摩地域で現存する神輿の中では最古級のものです。
 昭和十一年(1936)に本多八幡神社へ譲渡され、二百年以上にもわたって使用されています。 
 明治三十二年(1899)と昭和五十一年(1976)の修繕を経て、現在は頭頂部に大鳳 (鳳凰) ではなく、金箔の塗装が施された宝珠が据えられています。野筋(のすじ)はゆるやかな曲線を描き、屋根を支える榊組が二段という簡素な構造で、台輪も直線的な形状となっているのが特徴です。
 建造当初から姿を変えてはいるものの、地域の祭事で大切に受け継がれてきた民俗資料といえます。 秋の例大祭では山車・太鼓と共に町内を渡御する姿を見ることができます。





◆本多八幡神社の力石 一個



 力石は、江戸時代後期から明治時代にかけて、米俵や酒樽・大石などを持ち上げて「力持」を競う会が神社の境内などで開かれた折の石で、年号・人名・重量などを刻んで優勝者の記念としたものが多く残されています。
 この力石は、地元の伝承で本多新田の若者の中でも一番の力持であったと伝えられている冨士野栄次郎が願主となり、江戸時代末の文久二年(1862) 八月十五日に本多新田の鎮守八幡神社へ奉納したものです。
 実際の重量は、およそ百㎏と推定されます。 多摩地区では数少なく、貴重な資料です。





◆本田八幡神社内児童遊園

境内の公園。






◆鳥居





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