2023/10/24 西八王子・八王子散歩 02 なの花ちびっこ広場/八木宿跡/伏見稲荷神社/稲荷神社/小門公園/産千代稲荷神社/松の湯

前に日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/24/203000



◆なの花ちびっこ広場




◆八木宿跡

現地では説明版など見当たらなかった。





google mapのマークは上の写真のところ辺り。

武田勝頼家臣、八木源左衛門が武田氏滅亡後に隠れ住んだ地であり、その姓からとって八木という地名がつけられたといわれる[5]。 江戸時代には、八王子横山十五宿のうちの八木宿として栄えた。 』
八木町 (八王子市) - Wikipedia




伏見稲荷神社





◆稲荷神社





◆小門公園



大久保長安
 1545年(天文14年) ~ 1613年(慶長18年)。 武田信玄により武士に取り立てられ、買税や司法、鉱山採掘など民政に従事した。 武田氏滅亡後徳川家康に召しかかえられ、八王子小門宿に陣屋を設けて八王子宿を整備・支配し千人同心及び十八代官を統轄。 八王子城落城後の八王子の礎を築いた。 治水や灌漑にも力をそそぎ、 石見土手と呼ばれた堤の一部が千人町の宗格院境内に残っている。街道の伝馬制を定め、 一里塚を設け、各地の検地を行うほか、 1601年(慶長6年)石見 (島根県) 奉行、 1603年佐渡 (新潟県) 奉行、 1606 年 伊豆 (静岡県) 奉行となり金銀山を開発し新しい採掘法を取り入れるとともに、 西洋流の精錬技術を導入してわずかな期間で産出量を伸ばし江戸幕府財政の基礎を築いた。江戸城拡張工事 名古屋城の築城工事、 駿府城 (静岡市) の改築工事にも関わった。 1612年(慶長17年) 駿府で病床につき翌年没した。 没後、家康によって葬儀中止、遺子7名死罪、 財産没収が命ぜられた。 長安の莫大な私財の蓄積や旧豊臣系の大名たちとの姻戚関係が家康の疑いをうけたほか、重臣たちの権力闘争に巻き込まれた結果ともいわれている。

① 直入院
 慶安年間(1648~52) に随上人が市内小門宿(現在の小門公園附近)に庵を建て、 後に一寺にしたという。 1945年(昭和20年) 8月太平洋戦争の戦禍により堂宇を焼失。 戦後、 現在地(緑町の市営共同墓地内) に移転した。 1959年元横山町帰西寺と、以前に帰西寺に併合されていた蓮生院を合併した。

五智如来立像
 五智如来は、もともと現在の小門町の蓮生院にあったが、 1945年(昭和20年)に戦災で蓮生院が消失・廃寺になり、帰西寺に移転された。 その後、 1957年(昭和32年) の区画整理に伴い、帰西寺が直入院と合併したため、直入院に移された。 蓮生院にあった当時は、 縁日にとうもろこしを売る露店が並んだため「とうもろこし地蔵」と親しまれた。

② 産千代稲荷神社
1603年(慶長8年) 大久保長安陣屋内に鬼門除けの守護神として勧請されたといわれている。 「小門の稲荷森」とも称されていた。

■大久保石見守長安陣屋跡
千代稲荷神社境内に碑がある。 屋敷地は小門町全域と上野町の一部であったことが元禄九年検地絵図によってわかるが、 陣屋の範囲ははっきりしない。

信松院
 1582年(天正10年) 武田氏滅亡により八王子に逃れた松姫が厄になり、 1590年(天正18年) 頃、現在の地に移り住んだ。 大久保長安が彼女のために立派な草庵を現在の信松院がある場所に贈ったともいわれている。 1616年(元和2年) 松姫 (信松尼)が56歳で亡くなった折、遺言により草庵はお寺にされ 「信松院」 となった。 「木製軍船ひな形」 「木造松姫坐像」 などの文化財は松姫命日である毎月16日に一般公開。 事前に要連絡。

④ 金剛院
 近くの寺領地(言い伝えでは旧市民会館附近)に安土桃山時代の僧・真清によって不動尊を奉る不動堂が建てられたのが起源と伝えられており、当時は明王院と号していた。 1631年(寛永8年) 紀州高野山の末寺として現在の地に創建された。 僧侶修行の場として本堂・太子堂伽藍を整えていたが、戦災により境内のほとんどの建物を焼失した。 戦後、大本堂・書院・庫裡・仏教文化センター金剛院会館が建築された。 大久保長安の陣屋内の東南の一画にあった太子堂を含む地が、 現在の境内にあたっているとも言われている。都文化財指定 「紙本着色西王母図」 「紙本着色高野山図絵」 ほか多数の文化財を所蔵。 年1回期間を設け展示。

松姫
 武田信玄の娘。 1561年(永禄4年) ~ 1616年(元和2年)、 7歳のとき織田信長の長男信忠と婚約する。 信玄が徳川家康と戦った三方ヶ原の合戦で信長が家康に援軍を送ったため、 婚約破棄。武田氏滅亡後八王子に逃れ、この地で亡くなる。

■木造松姫坐像
 像高66.5cmで寄木作り、玉眼、彩色。剃髪し法衣に袈裟を着けた尼僧の姿で、松姫百回忌にあたる1715年 (正徳5年)頃の作。
重乗り入れ禁止

■木製軍船ひな形
 豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄・慶長の役 (1592~93・1597~1598) で毛利元就の三男の小早川隆景が使用した軍船のひな形。 松姫の兄、仁科信盛の子孫である資真から 1714年(正徳4年) に寄進されたもので当時の船を知る貴重なもの。




◆産千代稲荷神社

別のページで。
2023/10/24 産千代稲荷神社 - ovanの社会科見学




◆松の湯

銭湯♪






続く。
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