戸長役場跡と高木神社
明治17(1884)年に高木村外五ヶ村連合村会 (東大和市の前身)ができたとき、連合戸長役場が置かれました。
今は、書類入れだった土蔵だけが当時の面影をとどめています。
高木神社ではかつて、獅子舞が行われていました。 使用していた獅子頭は、江戸後期のものとされています。
境内には、安産を祈願する塩釜神社もあります。
高木の獅子舞は江戸時代より、毎年九月十九日の高木神社の祭礼に奉納されました。
昔、悪疫が流行したとき、その退散を祈願して踊られたのが始まりと伝えられています。
現在でも獅子頭を初め衣装、太鼓、花笠等が保存され、市郷土資料として指定されています。
獅子舞は神社前庭に青竹四本を立て、(注連縄(しめなわ)を張り、その中に村の著者が扮した雄獅子二頭と雌獅子一頭に孤一頭が入り、四隅には花笠をかぶり「ぼたん」の柄の着物に前掛けをして、紅白の鼻緒の草麗をはさ、「ささら」を持った男の子が立ち、笛吹き、いきも、八人が周りに居て舞い踊ります。
獅子舞の行列は高木神社隣、昔の明楽寺跡の社務所で支度をととのえ、村役の先導にて練り歩き、神社前庭に進んだのです。
松の大木の繁る境内で、笛の音や歌に合わせ演でる獅子躍は、勇壮なものでした。
ー東大和のよもやまばなしからー
この作品は獅子が舞う姿をイメージし東大和市美術工芸品設置事業の一環として製作したものです。
◆塩釜神社
◆境内社
◆境内社?
ちょっと男の建物なのかわかりませんでした。
中をちゃんと見てくればよかったなあ。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>
◆石塔
真ん中一番高いのが馬頭観音
明治十七(1884)年、町村制度の大改正が行なわれ、それまで村ごとに選出されていた戸長を、五百戸を基準として連合した地域に、一人の官選の戸長をおくこととなった。この地域では、高木、清水、狭山、奈良橋、蔵敷、芋窪の六力村を一区域として任命された戸長が、高木神社隣の明楽寺に置かれた戸長役場で事務を執った。
旧六カ村をまとめて一区域とすることにより、ほぼ現在の東大和市域が形づくられたといえる。今は当時の建物の大部分が失われたが、東大和市の原形をつくりあげた最初の役所跡として、歴史的に重要な場所である。
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