坂上。
「茗荷坂は,茗荷谷より小日向の台へのぼるさかなり 云々」と改撰江戸志にはある。
これによると拓殖大学正門前から南西に上る坂をさすことになるが,今日では地下鉄茗荷谷駅方面へ上る坂をもいっている。
茗荷谷をはさんでのことであるので両者とも共通して理解してよいであろう。
さて,茗荷谷の地名については御府内備考に「……むかし,この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々」とある。
自然景観と生活環境にちなんだ坂名の一つといえよう。
◆茗荷谷
このあたりは昭和四十一年四月一日の新住居表示の施行によって小日向の一部となるまでは「茗荷谷町」といっていた。
茗荷谷の名の由来については、このあたり古くから茗荷の産地で、多くの畠で茗荷が栽培されていたことから里俗(りぞく)に呼ばれるようになったものだとだと言われている。
江戸のころにはこの近くに切支丹屋敷や七間屋敷があった。
「御府内備孝」にも「茗荷谷は七間屋敷の北の谷なり、むかしこの所へ多く茗荷を作りしゆへの名なり。今もそのなごりの「めうが」畠すこしのこれり、此辺にはことに広く、その唱へも名高き所なり」とある。
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