2023/12/23 富坂


坂上



 「とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、 元は此処に恋多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と「紫一本』にある。 鳶が多くいたので、 鳶坂、 転じて富坂となった。
 また、春日町交差点の谷(二ヶ谷) をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛坂ともいわれた。 そして、 伝通院の方を西富坂、 本郷の方を東富坂ともいう。都内に多くある坂名の一つである。
 この近く礫川小学校裏にあった 「いろは館」 に島木赤彦が下宿し、 “アララギ”の編集にあたっていた。
「富坂の冬木の上の星月夜 いたくふけたりわれのかへりは」
島木赤彦(本名 久保田俊彦 1876~1926)






文京シビックセンター






◆坂途中








◆旧町名案内

小石川町(昭和39年までの町名)
 京都請時尚跡道興雅后(きょうとしょうごいんもんぜきどうこうじゅごう)が、『廻国雑記(かいこくざっき)』(文明18年 1486)に次のことを書いている。
 「ここ(上野忍岡) を過ぎて小石川と言へる所にまかりて、義方を思ひ深めて小石河 いつをせにとかこひ渡るらん」
 また、 『江戸砂子」 (享保17年 1732) に、「小石多き小川が幾流もある故なりわけて伝通院の後の流 ねこまた橋の川筋小石川の濫なり」 とある。
 むかし、 芋川 (小石川)、 江戸川 (神田川)や周囲の高台から流れた細流が、 現在の後楽園一帯で合流していた。 これらの川は砂や小石が多かったので、 この辺を小石川村と呼んだ。 明治5年、 小石川町とした。






◆坂下






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