この大日如来像は、宝冠(ほうかん)をかぶる金剛界(こんごうかい)大日如来であり、袈裟を片掛け(偏祖右肩(へんたんうけん))した如来態である。丸彫りで顔や胸、衣などにふくらみのある表現がされている作りのよい像であり、仕上げに線状の磨き痕がみられる。大日堂内に安置され、保存状態も良好である。総高126cmを計る。台座には神明ヶ谷戸地区の二十四人の人名と日待(ひまち)供養の造立趣旨が刻まれている。このことから、信仰上のつながりを持った地域の人々によって、日待供養のため、享保八年(1723)に造立されたことがわかる。
地域固有の信仰上の特色を遺す貴重な文化財である。
この庚申塔は、宝暦九年(1759)に造立されたものです。江戸時代庚申信仰が庶民の
間にひろまり、市内に二十一基現存していますが、 この塔は典型的な像です。また大日堂には享保八年(1723)に造立された金剛界大日如来(こんごう かいだいにちにょらい)が安置されています。
◆庚申塔
この庚申塔は、江戸時代中期宝暦九年(1759) 神明ヶ谷戸の村人によって造立されたものである。
庚申とは、六十日ごとにめぐってくる干支の庚申にあたる日で、人々は身をつつしんでこの日を過した。この地方では、五穀豊穣や無病息災も祈願した。
庚申信仰は、奈良時代の頃、中国から伝来し、初め貴族の間で信仰された。やがて武士の間にひろまり、江戸時代には、庶民も庚申塔を造立して信仰するようになった。
この塔の主尊は、青面金剛で、上部瑞雲に日月を刻み、第一手は、剣としょけら(女人)、第二手は、三叉矛と法輪、第三手は、弓矢を持ち、足下に邪鬼をふまえている。
庚申塔は、市内に二十一基現存しているが、この塔は江戸時代中期の典型的なものとして大切な資料である。
◆地蔵堂
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