2024/03/03 皇居外苑


皇居前広場と1969年(昭和44年)に開園した北の丸公園、それに皇居の周りの内濠に沿った緑地も含まれる。都市計画法第11条(都市施設)に基づく名称は、北の丸公園日比谷公園と合わせて「東京都市計画公園第5・8・23号中央公園」である。広大な広場のほかに、桜田門二重橋といった東京を代表する歴史的にも貴重な建築物を見ることができる。
入苑は無料。広く開放されており開苑・閉苑の概念自体ない』
皇居外苑 - Wikipedia





◆正門石橋(眼鏡橋






◆牧野家上屋敷

『長岡藩(ながおかはん)は、越後国の古志郡全域および三島郡北東部、蒲原郡西部(現在の新潟県中越地方の北部から下越地方の西部)を治めた藩。現在の新潟県長岡市新潟市を支配領域に含む藩であった。山城長岡藩と区別するため、越後長岡藩(えちごながおかはん)と国名を冠して呼ばれることもある。
藩庁は長岡城(長岡市)。藩主は初めに堀家(8万石)、のちに牧野家に交替した。牧野家の家格は帝鑑間詰めの譜代大名で、石高ははじめ6万2千石、後に加増されて7万4千石になった。正徳2年(1712年)の内高は約11万5300石、安政元年(1858年)には約14万2700石あった』
越後長岡藩 - Wikipedia






◆健康マラソン時計塔




文字化は断念・・・。
参考
【オリパラ奮闘記】ランナー見守る「健康マラソン時計塔」 - 産経ニュース






桜田門




桜田門
 桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し、江戸の主要道が通過する場所でした。徳川家康入国直後の絵図には「小田原口」と記載されています。門周辺の石垣は、1614年(慶長19年) 真壁(まかべ)藩 (現在の茨城県) 藩主浅野長重(ながしげ)によって築かれ、寛永年間(1624~1644)に門が建築されました。門の周囲には、有力外様大名
の屋敷が多くありました。
 1860年(万延元年)の桜田門外の変は、彦根藩 (現在の滋賀県) 藩主で大老井伊直弼が屋敷から登城中に水戸浪士に襲撃された事件です。
 1923年(大正12年)の関東大震災で門が壊れましたが、再建され現在に至っています。






◆銀座の柳二世



 この柳は、昭和43年銀座通りから姿を消した「銀座の柳」の二世です。銀座の柳の枝を挿し木とし椎葉一二氏・勝俣康雄氏が心を込めて育て上げられました。
 このたびお二人の」ご厚意により寄贈されました。






◆花の輪案内







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