2024/03/03 国会議事堂前庭




三権分立の時計塔



時計培
 この時計塔は、尾崎記念会館(現 憲政記念館) 建設時に、その施設の一環として、前面の噴水池・花壇とともに設計され、昭和35年(1960) 7月に完成した。
 三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。また、塔の高さは、 「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3メートル)より高くした31.5メートルに設定された。
 時計は、時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られたものであったが、現在は国産のものに改修されている。
 チャイムは、10時・13時・17時 ・ 22時の4回鳴動する。 これは、衆議院参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。






◆永田町由来板

議事堂前公園 阿刀田高
 国会議事堂から道一本へだてた公園。 洋風の庭園は憲政記念館と地つづきになっている。 散策をしながら、
「ほう? 24.4140メートルですか」
 と知って、頭上に24メートルの高さを想像してみた。
 家屋の一階が約3メートルの高さだろうから、 ざっと八階建てのビル。 それが私の立っているところの標高。 海面よりの高さ。
 「意外と海が近かったんだ」
 今はずいぶん遠くなったけれど。
 かつて陸軍の測量部があって、このあたりを標高の基準にすえて日本地図が作られたらしい。 それにしても、この公園は人にあまり知られていないから、とてもよいデートスポット。 まぎれもない日本の中心。 永田町で恋が語れるなんて・・・・・・。 三方にひだを広げた時計塔があって、
「これ三権分立を表しているんだって」
「あら。 あなたは経済力と容姿のよさと性格のよさと三つ表しているかしら?」
「うん?」
阿刀田高

永田町一丁目
「永田町」の名前が正式に生まれたのは明治五年(1872) のことです。 江戸時代、このあたり一帯は武家地で、 馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と
呼ばれていたことが、この町名の由来です。 江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」 と呼ばれ始めました。 明治期には大半が軍用地に変わりましたが、 国会議事堂
が昭和十一年(1936) に完成すると、 国政の機能が集中し、 政治の中心地となりました。



日本水準原点

扉が解放されているところを見に来たことがある。
2011/05/27 日本水準原点一般公開 - ovanの社会科見学



 日本水準原点は、わが国の土地の標高を測定する基準となる点である。 明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。
 日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。 その標高は、明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、 当時 24,500メートルと定めた。
 その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、 平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。



重要文化財【建造物】「日本水準原点
 日本水準原点は、明治24年に創設された我が国の高さの基準になるもので、130年近くにわたり、 我が国の測量の歴史を支えている重要な施設です。
 日本水準原点の歴史的及び技術的な価値が認められ、測量分野の建造物としては初となる国の重要文化財に指定されました。

日本水準原点
 日本水準原点の零目盛りは、温度変化の影響を受 けにくい水晶板に刻まれており、丈夫な花崗岩台石はめ込まれ、固い岩盤まで達する約10mの基礎に支えられています。

日本水準原点標庫
 日本水準原点標庫は、ドーリス式ローマ神殿形式の古典的建築で、日本人建築家により設計された初期の洋風建築として、歴史的、建築学的にも貴重なものです。



◆電子基準点「東京千代田」



 この電子基準点は、GPS衛星や準天頂衛星などの衛星測位システムから出された電波信号を受信しています。
 受信したデータは、茨城県つくば市にある国土地理院にリアルタイムで転送されています。
 国土地理院は、受信データでこの電子基準点の正確な位置を求め、 土地の測量や地図作成の基準点としての利用に供するとともに、地震・火山噴火等に関わる地殻変動の監視を行っています。



 この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次元位置を計測・モニタリングする施設である。国土地理院は、全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調製に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。
 電子基準点「東京千代田」は、日本の標高の基準となる日本水準原点(明治24年(1891年)設置)の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。




◆櫻の井




江戸の名水「櫻の井」
 「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。三連式釣瓶井戸で、縦約18m、横約3mの石垣で組んだ大井戸で三本の釣瓶を下ろし、一度に桶三杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。
 江戸名所図会に絵入りで紹介され、歌川(安藤)広重の「東都名所」の「外櫻田弁慶の井」(天保十四年(1843))(図)にも描かれている。安政七年(1860)三月三日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から登城途中、暗殺された。
 大正七年(1918) 史蹟に定められ、東京都は昭和三十年(1955)旧跡指定。昭和四十三年(1968)道路工事のため交差点内から原形のまま十メートル離れた現在地に移設復元された。
 平成十九年(2007) 彦根城築四〇〇年祭と東京金亀会設立九十周年に記す



◆桜1






◆桜2






◆桜3






桜田