ここでもどんどん南下する。
関東大震災横死者供養塔あたりからは以前歩いたことがあるエリア。
見逃してしまっているところが何か所かあったみたいだった。
この後方においてある丸太は、平住橋撤去工事の際に川底から引き揚げられたものです。かつての横十間川は、上の写真のような材木が浮かび、木の香りが漂う中で颯爽(さっそう)と木材を操る「川並」の姿がありました。
時代の変遷とともに川並の姿は見られなくなりましたが、川並の仕事から生まれた「木場の角乗(かくのり)」と「木場の木遣(きやり)」は、民っ俗芸能として今に引き継がれております。
平住橋は、昭和4年に関東大震災後の復興事業として架けられ、南側の平井町と北側の豊住町を結ぶことから「平住橋」と名づけられました。
当時、橋周辺には貯木場(ちょぼくじょう)が多くあり、筏(いかだ)に組んだ材木を運んでいました。その後、工場の地下水利用のため地盤沈下が進み、護岸の嵩(かさ)上げが必要となり、昭和34年に架け替えられ、太鼓橋のような形状になりました。
平成21年に撤去しましたが、橋の記憶を時勢台に継承していくため、ここに橋名板を保存しました。
いちおう、今でも橋にはなってるようだ?
横十間川が流れている。
◆関東大震災横死者供養塔
沢海橋第二児童遊園内に建立されていた。
続く。