2018/04/28 浅草橋散歩 03 川柳発祥の石碑/二守神社/旧朝草桂町/蔵前神社/榧寺/蔵前橋駅/廣澤稲荷社

先程のエリアから北上。
だんだん浅草が近くなるが、このエリアより北には行かない。



◆川柳発祥の石碑



宝暦7年(1757)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、逐には文芸の名をもって呼ばれ、今日に至る川柳隆盛の礎を開く。本年その250年に当たって後学相諮り、一碑を建てて開祖の遺業を顕彰し、永く歴史に留めんと祈念するものなり。





◆二守神社





◆旧浅草桂町



 文化十四年(1817)の火事で小石川と富坂町(現文京区)の地が幕府に没収され、この地が代地となった。そして小石川富坂町代地と呼ばれたが、天保九年(1838)に浅草富坂町と改称された。明治五年、隣接地を併せて町域を広げるとともに、浅草南富坂町および浅草北富坂町にわけられた。
 昭和十六年(1941)浅草北富坂町を中心に同南富坂町の東部などを合併し、浅草桂町が誕生した。町名は、地元が生んだ政治家頼母木桂吉の功績をたたえるため、地元の強い要望で名前の一字をとって名付られた。
 頼母木桂吉逓信大臣をつとめ、昭和十四年に東京市長になったが、翌十五年おしくも現職のまま没した。



◆蔵前神社





錦絵




 この錦絵は、文政七年(1824年)の春に、御藏前八幡宮(現・藏前神社、旧・石清水八幡宮)で行われた「力持」の技芸の奉納を描いたもので、作者は初代歌川豊國門下の三羽烏と言われた歌川國安(1794年〜1832年)です。
 素人の力持は文化後期より流行し、この錦絵が描かれた頃には絶頂期を迎えたように素人の力持を称える文化がありました。上の絵の「大関金藏」は、当時有名な素人の力持で、神田明神下の酒屋・内田屋の金藏と思われます。これらの錦絵は、奉納力持の記念として製作されたものですが、絵のなかに当時の日本酒の銘柄が入った酒樽が描かれていることから、これら三枚の錦絵は、そのまま宣伝用のポスターとして使用されていたのではないかとも言われています。
 また、この奉納力持が開催された御藏前八幡宮は、勧進大相撲の発祥の地であり、天保四年(1833年)に本所回向院が定場所となるまでは、回向院・深川八幡と共に、勧進大相撲が行われた三大拠点の一つでした。この場所では幾多の名勝負が繰り広げられましたが、なかでも天明二年二月場所では六十三連勝中の谷風梶之助が小野川喜三郎に敗れて江戸中が大騒ぎとなりました。
 この錦絵は隅田川遊歩道・テラス(厩橋〜藏前橋の間)にも掲示されています。



古典落語ゆかりの神社

元犬
蔵前の八幡様の境内で満願かなえて人間になった真白い犬が、奉公先で巻き起こす珍騒動はは・・・・。

阿武松
江戸時代勧進相撲発祥の地蔵前の八幡様で名横綱に出世した相撲取りの人情噺。


鳥居







◆榧寺(かやでら)



 石川雅望墓

 石川雅望(1753〜1839)は江戸時代後期の国学者狂歌師です。旅館糟谷七兵衛おと浮世絵師石川豊信の子として生まれ、六樹園、五老斎などと号しました。刻宅を津村淙庵、狂歌を太田南畝らに学び、狂名を宿屋飯盛といいました。店名年間に狂歌壇に台頭し、狂歌四天王に数えられます。寛政三年、宿や経営に関連して江戸を一時離れますが、このころ、国学に努め「源乩註余滴」や「雅言集覧」も著します。文化期には狂歌壇に復帰し、文化文政時代の狂歌界を鹿津部真顔と二分する勢力となります。真顔の俳諧歌体に対して俗上俗語の軽妙さを主張しました。「(百人一首)古今狂歌袋」などの狂歌絵本や「万代狂歌集」などの狂歌撰集「草まくら」などの紀行文もあります。



銅像観音菩薩坐像

観音菩薩坐像は銅製、鋳造で、総高が208.4センチメートル、像高は100.2センチメートルである。
 蔵に刻まれた銘文によると、宝暦年中(1751〜1764)に室生寺の僧、快心が発願し、江戸の鋳物師粉川市正が制作し、当寺の本堂前に安置した。
 粉川市正は江戸神田を拠点に、江戸時代中期から明治時代にかけて活躍した。代々粉川市正を名乗り宗信、宗次、国信、甫信など5から7代ほど続いたと考えられ、全国に100例以上の作例が知られる。本像を制作したのは、他の作例から粉川市正藤原宗信と推定される。
 また文政十年(1827)に丸山佐助が、本草を修理するために多くの浄財を募り、田川民部(たがわみんぶ)が修理を行った。田川民部は正徳年間(1711〜16)以降に活躍した鋳物師で、神田鍛冶町三丁目(千代田区)に居住していた。遺例はわずかであることから、本像は田川民部の活動の一端を知る貴重な資料である。
 本像は、台座に刻まれている銘文から奉納者、製作者、制作年代などを知ることができる。また、江戸を代表する鋳物師の作風を伝えるものとして貴重な遺品であり、江戸時代の鋳物師の技術、活動を知る上での基準となるものである。
 平成二十三年三月に台東区有形文化財(彫刻)として台東区区民文化財に台帳に登録された。





◆蔵前橋駅





◆廣澤稲荷社






続く。