2020/05/21 碑文谷散歩 02 平和湯跡/東伏見稲荷神社/洗足学園通り商店街/新橋/法界塚/庚申供養塔/円融寺

西小山駅西側エリアから北西に向かって進む。
法界塚からは西へ。
円融寺が円融寺通りから離れた場所にあったのがビックリ。




◆平和湯跡

銭湯♪
WEBで調べたら、2011年11月30日(水)閉店 とあった。
たぶん茶色いマンションの場所がそうなんじゃないかな?






東伏見稲荷神社






洗足学園通り商店街

商店街♪







◆新橋

立会川(暗渠)だね。
通りの名前は「円融寺通り」







◆法界(ほっけ)塚

このちょっとこんもりしてる場所が塚なのかな?
明確にココと示されているものがない・・・・。


とりあえずぐるりと撮ってみた。

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 円融寺の東門近くにあり、江戸時代から除地(租税を免ぜられた土地)となっているので、かなり由緒のある古塚と見られています。 古い記録に、「ほっけ塚といひて文書は法解塚とかけり」とか、円融寺文書の吉良氏印判状に、「天正十三年の古書にも法界塚と書たれば別に故ありと見えたり」と記されているので、法華寺関係の経塚か、あるいは5~6世紀ごろの古墳ではないかと考えられます。
 また、「碑文谷村誌」にも「乾元元年」(1302)、「明応四年」(1495)などの古碑があったことが出ています。
 なお、隣りに建っている鬼子母神堂は、元和2年(1616) 安藤藤八郎が、十羅利女、鬼子母神をお肥りして堂宇を創立したものです。
今もその当時の板碑が残っています。


鬼子母神



お地蔵様






◆庚申供養塔



「碑小学校」前。
すぐ隣に次の円融寺がある。




◆円融寺




 寺伝によれば円融寺は、仁寿3年(853)に慈覚大師によってこの地に開かれた天台宗法服寺がそのはじまりです。
 弘安6年(1283)日蓮上人の高弟日源上人により天台宗から日蓮宗に改宗いたしました。この時に寺号も妙光山法華寺と改めて、以後約400年の間にわたり栄えた名刹でした。しかし、いわゆる不受不施の教義を強く主張したため江戸幕府の弾圧を受けることとなり、元禄11年(1698)に元の天台宗に戻されました。そして天保5年(1834)に山号寺号を経王山円融寺へ改め今日に至っています。
 正面に立つ優美な姿の「釈迦堂」(国指定重要文化財)は室町時代初期に建てられたもので、東京都23区内では最も古い木造建築です。
 境内には他に、寛永20年(1643)に鋳造された「梵鐘」(国重要美術品)、仁王門(区指定文化財)に安置されている木造金剛力士立像(都指定文化財)や、日源上人の事績が刻まれている「日源上人五重石塔」(区指定文化財)などがあり、また本堂には中世宗教史研究上貴重な歴史資料である「円融寺板碑」(区指定文化財)があります。






阿弥陀堂



鐘楼



日源上人五重石塔





日源上人五重石塔
 総高は約4.4メートル。碑文によると、日源上人の追善供養のため寛永13(1636)年に建立され、その後文化11年(1814)に再興されている。この石塔は、軸石と笠石が別々の石で構成され、しかも軸石が高く、そのため雄大五重塔となっている珍しい例である。各軸石には、上から「妙」「法」「法」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には出来や造立者などが刻まれている。

円融寺板碑(非公開)
板碑とは、生前の安楽と死後の往生とを祈願するために建てられた石製卒塔婆で、円融寺にあるものは、すべて緑泥片岩製の題目(南無妙法蓮華経)板碑である。年号のあるものは14世紀から16世紀のもので、最古のものは文保2年(1318)と刻まれている。題目板碑だけを多数所蔵する所は少なく、いずれも円融寺が法華寺として栄えていた頃の資料として貴重なものである。




仁王門




 仁王門は二間一戸、八脚、入母屋造、茅葺(現在は銅板葺)で、用材は主に欅と檜を使い、和様に唐様を取り入れた建築様式で、細部の虹梁、蟇股、懸魚などにも彫刻的装飾が多く施されています。
 中央通路両脇に安置されている木造金剛力士像(都指定文化財)は、永禄2年(1559鎌倉扇谷大蔵法眼の作といわれ、簡素な中に力強さを秘めており、「黒仁王さん」または「碑文谷の仁王さん」として親しまれ、江戸時代末期に多くの人々の信仰を集めました。
 仁王門は木造金剛力士像の製作とともに建築されたものと推定され、部分的には中世的性質も残していますが、しかし寛文期(1661-1673)から元禄期(1688-1704)にかけての様式的特徴が見られることから、現在の仁王門は近世になって大改修が行われたものと考えられます。



山門




真公稲荷


境内社



 真公稲荷ノ縁起ヲタヅヌルニ往古ヨリ圓融寺山内ニ住ム白狐聞法ノ効力ニ依リ稲荷トシテ祭ラレシモ時移リ堂宇ノ滅失スルヤ偶々門前𦾔家椎橋弥七氏弟宮野留吉ナル者ニ依憑スタメニ大熱病半歳ニ及ビ遂ニ自ラ住職純禎和尚ヲ招キ真公稲荷ナル事ヲ告ク依ツテ住職門前有志ト計リ小宇ヲ建立シ之ヲ祭ル宮野留吉氏ハ明治四十三年一月二十四日歿ス以来毎歳春稲荷祭を催シ五穀豊穣ヲ祈ル


あってるかな?(汗





続く。