2020/12/11 大泉学園散歩 08 白子諏訪神社/稲荷神社/大坂ふれあいの森/大坂通り/武州白子熊野神社/白子橋

諏訪神社の後は笹目通りを北上。
途中から大坂通りに入って東へ進む。
白子橋を渡ると東京都(板橋区)に住所が変わった。




◆白子諏訪神社



 諏訪神社は白子村西御林の中にあり、社は四尺の六尺、村民持とされていた。平安の末期、宿の民衆が社を造り、建御名方之神 ( たけみなかたのかみ ) を祀った。江戸中期になり、白子宿に悪い病いが蔓延した時、苦境に陥った村の人々たちが、神社に疫病快癒の祈願をしたところ、忽ちの内に全快したといわれている。 また、非常に子供好きな神様で、度々蛇に姿を変えて近隣の子供達と遊んだと言い伝えられているところから、悪病除と子育ての神として近在の人々の信仰あつく、例年七月二十六・二十七日の祭礼には多くの参拝者で賑わう。なお、神社に茄子の紋章があることからか、近在の農家では、その年に初めてとれた茄子を供え、悪病にかからぬよう奇岩した後に供えた茄子の半分を持ち帰って家中でこれを食すという風習が現在も残っている。昔は四町八反の諏訪山があったが、村人がその森林を開拓して畑とした。その際、槌中から銅製の鏡が発見され、これを機に明治七年、社を建て替えてその鏡を御神体として祀り今日に至っている。


境内社






◆稲荷神社





◆大坂ふれあいの森



名称大坂ふれあいの森 ~湧き水と貴重植物をはぐくむ森空
 ここは、市民の皆さんが、身近に自然にふれあえるよう、市が地主さんから「市民緑地(ふれあいの森)」 としてお借りしています。
 この地域は江戸時代に川越にいたる街道の宿場町として栄え、武蔵野台地の斜面から湧き出る湧水がみられ、それを取り囲む樹林地には、イヌシデ、ムク
などの樹木がしげり、カタクリイチリンソウキツネノカミソリなどの野生植物も群生し、夏には水辺にオニヤンマやシオカラトンボが飛び交うなど生き物とふれあう場として、都市近郊には大変貴重で、豊かな生態系が今でも残っています。
 この身近な自然に親しめる 「ふれあいの森」を大切にしましょう。




湧き水の町 「白子宿」
 お江戸日本橋から川越まで、川越街道の宿場として栄えた。江戸時代の紀行文に、「此しらこ宿の町の左右には清潔の水(みなぎり)漲り水張り流れて潤沢なるは、尤浦山(もっともうらやま)し」とあります。
 石垣湧水道など湧水利用の文化があり、白子は“自然と歴史の交差点” と言われるゆえんです。
 湧き水と共に残して行きたい 和光の宝です。



陽光と せせらぎの音 森の里
             まり子

白子・大坂ふれあいの森 武蔵野台地末端の斜面から湧き出す水とそれを取り囲む樹林地にはイヌシデ、ムク、などの樹木が茂り、カタクリイチリンソウキツネノカミソリなどの野生植物が咲く、春はウグイスなどの鳴き声が聞かれ、夏になると水辺にはオニヤンマやシオカラトンボが飛び交う光景が愉しめる(昔はホタルも沢山いた)。とても貴重で豊かな生態系が残された市民緑地です。




◆大坂通り



ものすごい立派なお宅が建っていた。





武州白子熊野神社



 熊野神社は、白子の鎮守さまとして栄えてきた。発祥は不明であるが、社伝によると、およそ一千年前といわれている。
 祭神は、伊弉冉尊建御名方命、速須佐男命、速玉男命、事解男命倉稲魂命とされ、また、境内神社として、富士嶽神社、国平神社がある。
 中世、熊野信仰は、全国的に武士や民衆の間に広まった。熊野那智大社和歌山県)に伝わる「米良文書(めらもんじょ)」の中の「武蔵国檀那書立写(むさしのくにだんなかきたてうつし)」には、多くの武蔵武士とともに「しらこ庄賀物助(しょうかものすけ)、庄中務丞(しょうなかつかさのじょう)」の名があり、和光市域の白子に居住していた領主にも、熊野信仰が伝えられていたことがわかる。


富士塚



山腹にあった社



山頂。



山頂からの眺め1



山頂からの眺め2



富士塚鳥居


熊野神社鳥居




◆白子橋

下は白子川。





清水かつら歌碑

お手々つないで 野道を行(ゆ)けば
みんな可愛い 小鳥になつて
歌をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る



花をつんでは お頭(つむ)にさせば
みんな可愛い うさぎになつて
はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る


『『靴が鳴る』(くつがなる)は、日本の童謡。文部省唱歌。作詞は清水かつら、作曲は弘田龍太郎。 』
靴が鳴る - Wikipedia

『清水 かつら(しみず かつら、1898年(明治31年)7月1日 - 1951年(昭和26年)7月4日)は男性詩人。本名は、清水 桂。特に童謡詩人として知られる。 』
関東大震災で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移り、ここで生涯を送った。 』
だからここに歌碑があるんだね!
清水かつら - Wikipedia







続く。