寺前橋を渡り東武東上線をくぐると同時と白子川を渡る(w
このあたりの住所は埼玉県和光市。
細い路地を南西へ歩いていく。
12/11の散歩で見逃してしまっていたスポットを消化。
◆寺前橋
写真右が旧白子川児童遊園。
上の高架は東武東上線。
わかりづらいが、校歌の下が白子川に架かる寺前橋。
白子宿と川越街道
白子宿のおこりは、古く天正十五年(1587年)後北条氏が新宿を立てたときに始まる。
月のうち六回の市日には、どの商人も自由に商売が出きたため近郷近在の人気をあつめた。
江戸時代になって川越街道に上板橋、下練馬、白子、膝折、大利田、大井の六宿が置かれた。
当時の白子宿は急坂な大坂と豊富な湧水が印象付けられ、旅人には休憩地として欠かせない宿場であった。
文化文政年間には江戸の文化人がこの地を通り「家居よくにぎやかなる宿なり、食事売屋も多し。」と紀行文に記している。
白子川遊歩道整備事業は、当時の面影を残すため、市制ニ十周年記念事業のひとつとして施工したものである。
◆白子2丁目の祠
路地の突き当りにいらっしゃった。
地元の人でもわからないのではないだろうか。
難の会三様が祀られているのかは現地でもわからなかった。
◆白子村道路元標
だいぶ表面が削られていて近くに寄らないとただの石に見えてしまう・・・。
坂上。
◆水元稲荷神社
滝坂途中にいらっしゃった。
◆小島家湧水
こちらも滝坂途中。
水元稲荷神社の斜め向かい。
「滝坂」の由来と湧水の利用
この辺り(白子宿周辺)は、昔から盛んに湧水が流れ出ていました。この坂も、滝のように湧水が流れ落ちていたことから「滝坂」と呼ばれていました。明治9年(1876年)には湧水を利用した日本最初の養魚場が熊野神社境内にできました。 また、水車もあちこちで勢いよく廻っていました。
続く。