2020/12/15 練馬旭町散歩 05 富澤湧水/本田技研工業㈱白子ビル/こしのはけ公園/白子の滝/百段階段/子安橋/出世稲荷神社

高低差のあるエリアをウロウロしながら南へ進む。
高低差がありすぎて道がないため、どうしても行きたい方向にまっすぐに行けない。



◆富澤湧水


石垣湧水道



涌き水の町「白子宿」
 お江戸日本橋から川越まで、川越街道の宿場として栄えた。江戸時代の紀行文に、「此しらこ宿の町の左右には清潔の水漲り流れて潤沢なるは、尤浦山し」とあります。
 石垣湧水道などの湧水利用の文化があり、白子は”自然と歴史の交差点”と言われるゆえんです。
 湧水と共に残して行きたい和光の宝です。

石垣湧水道
 昭和初期に作られた「涌き水」の「水道」
 斜面から湧き出てきた水を、石垣の水路に集めて自然の水道として使われている。湧き出し口が4か所あり、地面の中の根っこなどで一つが詰まっても、他の出口から出てくる仕組みになっていて「調整ます」の役割がある、自然環境を残しながら、白子特有の湧水を利用した水道になっている。


白子宿特別緑地保全地区



湧水の所から登れるみたいだったがやめておいた・・・・。








本田技研工業㈱白子ビル








◆こしのはけ公園

工事中?
道具がほっぽり出されたまま誰も居なかった・・・。









◆白子の滝

この駐車場奥に滝があるとのこと。
完全に私有地なので入るとの諦めた。



駐車場左脇には滝から流れてきたとみられる水が流れていた。








◆百段階段

階段下。



階段上。
100段あったかなあ。








◆子安橋

下は白子橋。












出世稲荷神社



 本社の創建は詳らかではありませんが、小島家文書(練馬区指定文化財)の「享和四年(1804)二月豊島郡土支田村、村方之儀明細書上帳下書」に「稲荷社長弐間横八尺」と記されています。
出世稲荷神社」の名称がついた理由は、次のように伝えられています。「この北方に川越街道があるので、昔、川越城主が江戸との間を往復する時、出世の祈願をしたところから、いつしかこの名がつけられ(中略)松平信綱柳沢吉保のように老中、大老の要職についた大名があり、(中略)そうした大名が、出世を祈願してお詣りをしたので評判になったのであろう。」(練馬の伝説より)
 昔は小さな祠でしたが、もとの祠を後ろに移転して本殿とし、深川神明宮から移築した社殿を幣殿、拝殿として現在のような社殿としたものです。
 鳥居の手前右手に、「出世稲荷大明神」明治十五年(1882)の社号塔があります。また、稲荷神社には普通狐型の狛犬がありますが、境内には別に獅子型の狛犬がおかれています。これは、大正末期から第二次世界大戦頃までこのあたりにあった兎月園(とげつえん)という遊園地内の神社に置かれていたといわれるもので、地域の歴史をものがたるものといえます。
 境内にのこる樹木は、昔の面影をよく残しています。

兎月園で調べてみた。
『兎月園(とげつえん)は、かつて東京都練馬区にあったレジャー施設。 』
『場所 東武東上線成増駅から南西方向へ川越街道を超えたところにあり、成増駅から東武鉄道がバスを運行させていた。閉園後の現在でも練馬区光が丘公園から板橋区成増に向かう通りの名前に、兎月園通りの名が残っている。 』
兎月園 - Wikipedia









続く。