前のエリアから細い路地を南東へ進む。
◆観音堂
中へ入れなかったので外からお参り。
庚申塔が見えた。
google mapには「庚申塔(大門2)」とあった。
◆四葉稲荷神社
御祭神は、保食神と倉稲魂神です。 当社の由来は、詳細は不明ですが、元亀三年(1572)六月に創建されたといわれて います。
幕府が編纂し、文政十一年(1828)に 成立した地誌『新編武蔵風土記稿』の徳丸四 ツ葉村の項には、「稲荷社 鎮守なり 村持」 と記されており、江戸時代以来、四葉の鎮守として信仰を集めてきたことがわかります。
鳥居の脇にある灯籠は文化七年(1810) に伊勢代々講中が、また、狛犬は大正五年 (1916)六月に大山代々講中が奉納したことがそれぞれの銘文よりわかります。
境内には末社として御嶽神社や菅神社、水神宮が祀られています。なお、御嶽神社が祀られている塚は、現在の四葉や赤塚で木曽 嶽を信仰していた講、赤塚一山元講によって造られたものです。これは、登拝講の活動状況や実態を示す貴重な遺跡であり、平成二十 八年度に区の記念物(史跡)に登録されました。
◆庚申塔
板橋区立水車公園内 日本庭園
この庭園は、「郷土の森に育まれた清流とその恵み」 をテーマとし、前谷津川の名残りとして水景を配して築造されています。大滝や泉、渓流や石などが独特な雰囲気をつくり出し深山幽谷の感を深めています。
茶室 德水亭
外観は銅板葺き、木造平屋造りの茶室です。浄土形式 の茶庭に囲まれ、四帖半本京間の小間と八帖本京間の広間に各々に水屋が付き、玄関、化粧室へと続いています。 草庵席は貴人口、にじり口には深い土ひさしを有し、踏石が置かれています。床柱や北山杉の面付柱・天井を野趣豊かな素材で造り上げている素朴なつくりの小間です。 書院席は庭に面した二方向に障子が開き、茶庭を眺めることができます。正面に床の間、明り取りの丸窓が開き引き分け障子の平書院造りの広間です。
水車には、上掛け、胸掛け、下掛けなどの種類があります。子の水車は上掛け水車で水流の落差を利用できる場所に設置する形式です。
水倫の直径は2.7mで、水の落下によってひき臼一つとつき臼二つを動かします。
水車公園の前には、かつて前谷津川という小川が流れていました。
前谷津川は、赤塚新町二丁目などの水源から水 を集め、赤塚・四葉・徳丸・西台・高島平を流れ、新河岸川に注ぎ込んでいます。早くから生 活用水として、また水田の用水として利用されてきましたが、周辺の宅地化にともない昭和五十九年(1984)に暗渠となりました。現在は、 その流路跡の一部が緑道となり、往時の流れを 辿ることが出来ます。
この顕彰碑は、四ツ葉道が前谷津川と交わる 場所(現四葉一丁目十八番あたり)に架かってい た宮前橋を、大正十四年(1925)に架けかえするにあたり用地の提供をした芳川勇蔵と曾根田喜之助の二人を顕彰するために、赤塚村の人が世話人となって建立したものです。
顕彰碑は、川の暗渠化により橋が廃止されてしまうと、放置され忘れ去られてしまいましたが、現在は橋のあった場所に近い水車公園内に 移されています。
日本の標准的炭焼窯
木炭は世界各地で生産され大別すると、中国型、中東型、欧米型(近代的)に分けられる。日本の窯は中国型で排煙口が窯の奥の底に接した所にある。イランの炭窯は窯の上部にあり炭質も違ってくる。炭焼の歴史は1000年以上で、その地方に適した炭窯がつくられてきた。形態は様々であるが、運要なボイントは排煙口の位置と大きさである。煙道の大きさは、樹種によりことなりカシ類を焼く窯は煙道の出口が細く、ナラ類は太い。
カシ類はナラ類より炭化しやすいためである。この様に炭窯は地方により多少の差はあるが、ほとんど同じ型式でつくられてきた。
記念ノ碑
維時大正拾年四月四ツ葉河岸道前谷津川、架ス宮前橋架換エ成ルヲ機トシ芳川勇蔵曽根田喜之助ノニ君ハ交通利便ノ為メ其ノ所有地ヲ割キテ岐ノ●路ヲ開キタリ寔ニ地方自奮ノ模範ト謂ツヘシ依ニ之ヲ石ニ刔テ後世ニ遺ス
●は手ヘンに走
続く。