やはりゆっくり南へ向かう。
まだまだ起伏が激しい。
◆庚申塔
◆京徳観音堂
宗派は曹洞宗で、ご本尊は聖観音坐像です。
江戸時代、この近在に新義真言宗の水想山教徳寺(京徳寺)があり、観音堂はその教徳寺の持堂でした。明治五年(1872)、同寺が廃寺となると、圓福寺が管理する境外堂となり、現在に至っています。
創建は不明ですが、本堂に架かる「武州豊島郡西台村教徳寺」との銘文がある鰐口(わにぐち)が延宝三年(1675)の作であること、ご本尊までは遡ると考えられます。
境内の墓地には、「道用」と「性阿弥陀仏」が自身の死後の冥福を祈って延文六年(1361)七月十三日に建立した宝篋印塔二基があります。これらは、観音堂の創建以前に当所に仏教施設が存在していたことをうかがわせる資料です。
また、貞享三年(1686)に死亡した寄合旗本の井上正昭とその子で貞享元年に死亡した井上正員父子の墓もあります。理由は判然としませんが、井上家で教徳寺へ葬られたのは、正昭・正員父子のみなので、正昭と教徳寺とが深い関係にあったことがうかがえます。
この宝篋印塔と井上父子の墓は共に昭和六十二年度に板橋区の登録有形文化財となりました。
◆阿弥陀堂の坂
右側に少し写っているのは次の円福寺。
この坂もgoogle mapには載っていたが、標識などは見当たらなかった。
こちらに詳しく載っている。
弥陀堂の坂(板橋区西台)
profile/弥陀堂の坂
◆円福寺宝蔵庵
続く。