24時間勤務アケで、JR十条駅から東京メトロ東池袋駅まで散歩。
都営三田線新板橋駅、東武東上線北板橋駅、JR板橋駅経由。
途中までの地図。
十条駅南側エリアを散策。
線路の東側を南下後は原町踏切で線路(JR)を渡り西側へ。
十条駅のホームが見える。
上十条一丁目観音堂の由来
当観音堂は、馬頭観音(向かって左側)と庚甲塔を安置しております。文化九 (1812) 年の創建とも伝えられ、庚甲塔の側面には「天保十五 [甲]辰」(1845年)の銘が刻まれていまます。
馬頭親音は牛馬の、ひいては農耕の守り神、庚甲塔は集落の守り神として信仰されました。江戶時代、このあたり一帯は畑が広がる農村で、この観音堂も豊穣と安寧を祈願するため、集落の一隅に建立されたものと思われます。
当観音堂は、古くは現在のバス通.側に面しており、縁日も開かれていました。大正十(1921)年、それまで一時途絶えていた縁日を再開すべく、地元有志が王子警察
署に提出した「露店出店願」(現在、北区飛鳥山博物館所蔵)によると、縁日は每月九・十九日の午後六~十一時に開催され、踏切際から王子方面へ百メートル以上にわたり露店が立ち並んだものと推測れます。こうした縁日は、その後、昭和十年代初めまで開かれていたよです。
現在の親音堂は、当地の有志によって昭和六十一(1986)年に建て替えられたものです。 江戸時代以来、地蔵を見守りつづけてきてくれた当観音堂を、今後も末永くお祀りしていきたいものです。
◆乃木神社碑
十条台1丁目一帯には旧陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造所が所在していました。この製造所は、日露戦争の行われていた明治38年、小銃弾薬の増産を図るために現在の東京ドーム周辺から移転してきた工場施設で、約10万坪の敷地に煉瓦造の工場等が建てられていました。
本校とJR埼京線の境界に現存する煉瓦塀は、その製造所の西側の敷地境界にあたり、煉瓦に残されている刻印から、葛飾区の金町煉瓦製造所の煉瓦が使われていることが判りました。
『東京砲兵工廠(とうきょうほうへいこうしょう)は、日本陸軍の工廠である。1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)にその機能を小倉工廠に移転するまで操業し、小銃を主体とする兵器の製造を行った。また、官公庁や民間の要望に応えて、兵器以外のさまざまな金属製品も製造した。』
東京砲兵工廠 - Wikipedia
金町煉瓦製造所
参考
葛飾区工業の歴史1|葛飾区公式サイト
◆原町踏切
JR埼京線の踏切。
続く。