2022/01/07 番町散歩 04 丸増麹町ビル/豊受稲荷神社/麹町五丁目/ソフィアタワー/株式会社セブン-イレブン・ジャパン 本社/聴く/麹町六丁目

まだまだ甲州街道を西へ移動。





◆丸増麹町ビル

気になったので写真を撮ってみたのだが、普通のオフィスビルのようだ。











◆豊受稲荷神社













◆麹町五丁目



 江戸時代以前、このあたりは矢部村または横山村と呼ばれていました。徳川家康が江戸に入った後、現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに町屋が開かれ、麹町となりました。通りの南側は谷地でしたが、寛永のころ(1624年~1644年)、四谷堀を掘ったときに出た土を使って埋め立てられ、町が整備されていきました。
 この界隈が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
 ここには慶長のころ(1596年~1615年)、十五軒ほどの遊廓がありましたが、元和三年(1617年)にほかの地域の遊廓とともに日本橋葺屋町(ふきやちょう)へ移転して、吉原(新吉原と区別して元(もと)吉原と呼ぶ)となりました。
町屋の北側は寺院、南側は武家屋敷で、安政(あんせい)三年(1856年)には、この絵図にも見られるように、栖岸院(せいがんいん)や志摩鳥羽(しまとば)藩稲垣家上屋敷(かみやしき)などがありました。
 ほかにも、講談で名高い盗賊鼠小僧次郎吉が、江戸時代後期に町内にあった質屋の蔵に盗みに入ったという話も、町に伝わっています。
 明治時代には通り沿いは商店街となり、町の南側には麹町警察署や消防第三分署などが置かれていました。











上智大学 四谷キャンパス 6号館ソフィアタワー











◆株式会社セブン-イレブン・ジャパン 本社











◆聴く

富田憲二 作











◆麹町六丁目



 江戸時代以前、このあたりは矢部村または横山村と呼ばれていましたが、徳川家康が江戸に入った後に町屋となり、麹町となりました。
 この界隈(かいわい)が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
 江戸時代には、現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに町屋があるほかは、寺社地と武家屋敷がありました。
 安政三年(1856年)には、この絵図にも見られるように、町屋のほかに常仙寺(じょうせんじ)、心法寺(しんぽうじ)、尾張名古屋藩徳川家中屋敷四ツ谷御門などがありました。このうち常仙寺は、別名「寅薬師(とらやくし)」と呼ばれ、境内の様子が「江戸名所図会」にも描かれています(明治の末に杉並区へ移転)。慶長二年(1597年)に開山したとされる心法寺は、現在も町内にあり、信仰を集めています。
 明治時代に入ると、ここは印刷所や旅館、麹町勧工場(かんこうば)などが立ち並ぶ商店街となりました。













続く。