2022/01/07 番町散歩 03 半蔵門/㈱ワコール麹町ビル/麹町警察署/半蔵門駅/麹町駅/麹町四丁目/麹町大通り案内図

千鳥ヶ淵から甲州街道を西へ移動。





半蔵門

半蔵門(はんぞうもん)は、江戸城(現在の皇居)にある門の1つである。
城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(現・国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。住所は東京都千代田区麹町1丁目。また東京メトロ半蔵門線半蔵門駅周辺の呼称。 』
半蔵門 - Wikipedia










◆㈱ワコール麹町ビル

黒川紀章が設計を担当。建物は東西に細長く、空調設備などを収めた半円形のドーム状の屋根が特徴的である。ワコールは女性向けのファッションメーカーであり、丸みを多用して「やさしさ」「楽しさ」「親しみやすさ」を表現した。皇居に面する壁面の大小2つのシリンダー状の丸窓はミシンのハンドルをイメージしたとも『遠西観象図説』の解説図による太陽と地球と時間の関係を表した[1]ともされている。9階の丸窓の内側は「若手の学者や社員が未来のワコールを語り合える場に」としてロイヤルルームが設けられ、会議やパーティーに使われる。新宿通り沿いの1階にはショーウインドーがあり、足元には竹矢来をイメージした金属製ルーバーが設けられている。玄関にはUFOをモチーフにした円形の庇が設けられた[2]。近未来的なイメージと伝統的な和風アイテムとの組み合わせを、黒川は「歴史と未来との共生」と表現した。』
ワコール麹町ビル - Wikipedia









麹町警察署









半蔵門駅

東京メトロ半蔵門線半蔵門駅


そよ風

伊佐 周 作









麹町駅

東京メトロ有楽町線麹町駅


夏の思い出

吉野 毅 作

前に来たことがある。
2017/11/02 01 紀尾井町散歩 01 麹町四丁目/夏の思い出/旧李王家邸/諏訪坂/赤坂御門跡 - ovanの社会科見学
この時と服装が違うね!









◆麹町四丁目

前に来たことがある。
2017/11/02 01 紀尾井町散歩 01 麹町四丁目/夏の思い出/旧李王家邸/諏訪坂/赤坂御門跡 - ovanの社会科見学



この界隈が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。実際に近所では、地下に数ヶ所の麹室も見つかっています。
現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに町屋がつくられたのは、徳川家康の江戸入府後のことです。通りの南側は谷地でしたが、寛永のころ(1624年〜1644年)、四谷堀を掘ったときに出た土を使って埋め立てられたともいわれています。町屋の北側は寺や火除地(火事の延焼を防ぐ空き地)に、南側は旗本が多く集まる武家屋敷になりました。安政三年(1856年)の絵図には、出雲松江藩松平家上屋敷などが見られます。
一方このあたりは、うなぎの蒲焼伊勢屋や丹波屋、江戸切絵図の版元として名高い尾張屋、麹町で一、二を争う呉服商の伊勢八、尾張藩御用達をつとめる菓子店の亀沢(かめざわ)などが店を構え、江戸の高級商店街のひとつでした。また、赤穂浪士が吉良邸討入り前に名前を変えて隠れ住んでいた家もあったと伝えられています。
町内には井戸がたくさんあったようで、大正十二年(1923年)の関東大震災のときには、断水した多くの家庭を救いました。
明治・大正期になっても引き続き商店街として発展してきた麹町四丁目ですが、現在はビルの立ち並ぶビジネス街へと変わっています。










◆麹町大通り案内図



紀州藩麴町邸
 三代将軍德川家光は、寛永12年(1635)に「武家諸法度」の改定を行い、大名の参親(参勤交代)を義務付けました。その結果、全国250以上の大名が江戸に屋敷を構えることになりました。
 江戸城外堀の内側にあった大名屋敷のうち、紀伊和歌山藩德川家麵町邸は約25,000坪 (約82,500 m)の敷地と豪壮な建物群を誇っていました。
 近年その跡地から、立派な三葉葵鬼瓦や各種の生活用具などが出土しました。これから往時の生活ぶりがいろいろとしのばれます。
(参考;紀尾井町遺跡展 千代田区四番町歷史民俗資料館)










続く。