だんだん東へ進み入谷駅の方へ進む。
◆永稱寺
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永称寺|台東区根岸にある浄土真宗本願寺派寺院
石塔
庚申塔は、庚申信仰に基づいた石造物で、江戸時代以降、盛んに造立された。
庚申信仰とは、六十日に一回めぐってくる庚申の日の夜を寝ないで過ごすことで、長寿延命や無病息災を祈るものである。信仰を同じくする人々が、地域ごとに庚申講というグループを組織して庚申の晩に集まり、行事を行った。区内には、六十一基の庚申塔が現存している。
世尊寺の庚申塔は延宝二年(一六七四)に造立されたもので、下方部には造立に携わった講員の名前が見られる。正面には邪鬼を踏む青面金剛像が刻まれ、その左右と下方には、二童子、四夜又、二鶏、一猿があらわされている。
庚申塔は地域に根ざした人々の信仰を明らかにする貴重な資料であることから、本塔を含む区内の庚申塔が、平成十九年三月に台東区有形民俗文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
お堂
祀られているのは庚申塔かな?
◆西念寺
身代わり地蔵 人々の苦しみを代って受けて下さるお地蔵さま
戦国から安土桃山そして江戸時代初期へ。信長、秀吉、家康の覇権変遷の過程にあって、三者いずれの信頼をも獲ち得た稀有の才女、小野お通。一説には常人には見えぬものが見える「天眼通」の能力の持ち主、浄瑠璃の祖ともいわれ、琴の名手特に書道では「お通流」を開き、弟子には北政所、淀殿、細川ガラシャ、千姫、お江、春日局等々、鈴々たる女性たちが名を連ねる。
このお通が、宿下がりの一日、江戸北郊に遊んだ元和二年(一1616年)のこと。呉竹の根岸の里を通りかかると稀田の水が肢いばかりの光明を発していた。近寄ると一体のお地蔵さまが横たわっている。急ぎ抱き上げ、その場所に草庵を結ばせ、丁寧にお祀りしたのであった。それから十四年の歳月が流れる。高徳の巻れ高い勢誉的山上人が、京より奥へ下る道すがら、このお地蔵さまに強く惹き寄せられ、ニ十一日間、傍らに参龍し一心にお念仏を唱えたところその結願の日に霊験があり「諸願に代わらむことを以って本願とす」との夢告を得た。
的山上人は歓喜して、この小野お通立願の尊像を「身代り地蔵」として、あらため祝り、一堂を建立し、恵心僧都一刀三礼の阿弥陀三尊を安置し、ここに浄土宗東国山中養院西念寺を開山した。
とき寛永七年(1630年)のことである。
続く。