2022/06/08 日本橋散歩 01 日本橋駅/日本橋/日本橋野村ビルディング(旧館)/双十郎河岸/名水白木屋の井戸

24時間勤務アケで東京メトロ東西線日本橋駅から同じくメトロ半蔵門線水天宮駅まで散歩。






日本橋駅周辺を散策。




日本橋

東京メトロ東西線日本橋駅。














日本橋

下は日本橋川
上は首都高速都心環状線






観光案内所脇の説明版



 日本橋ハ江戸名所ノ隨一ニシテ其名四方ニ髙シ慶長八年幕府諸大名ニ課シテ城東ノ海濱ヲ埋メ市街ヲ營ミ海道ヲ通シ始テ本橋ヲ架ス人呼ンデ日本橋ト稱シ遂ニ橋名ト為ル翌年諸海道ニ一里塚ヲ築クヤ實ニ本橋ヲ以テ起點ト為ス當時既ニ江戸繁華ノ中心タリシコト推知ス可ク橋畔ニ髙札場等ヲ置ク亦所以ナキニアラス舊記ヲ按スルニ元和四年改架ノ本橋ハ長三十七間餘幅四間餘ニシテ其後改架凡ソ十九回ニ及ヘリト云フ徳川盛時ニ於ケル本橋附近ハ富賈豪商甍ヲ連ネ魚市アリ酒庫アリ雜鬧沸クカ如ク橋上貴賎ノ來往晝夜絶エス富獄遥ニ秀麗ヲ天際ニ誇リ日帆近ク碧波ト映帶ス眞ニ上圖ノ如シ
 明治聖代ニ至リ百般ノ文物日々新ナルニ伴ヒ本橋亦明治四十四年三月新装成リ今日ニ至ル茲ニ橋畔ニ碑ヲ建テ由來ヲ刻シ以テ後世ニ傳フ 昭和11年4月日本橋



構造・形式
石造二連アーチ橋。高欄付(青銅製照明灯を含む)。附、東京市道路元標一基。
所有者
国(建設省)。
指定年月日
平成11年5月13日指定(建第2362号)。
指定の意義
明治期を代表する石造アーチ道路橋であり、石造アーチ橋の技術的達成度を示す遺構として貴重である。
また、土木家、建築家、彫刻家が協同した装飾橋架の代表作であり、ルネサンス式による橋梁本体と和漢洋折衷の装飾との調和も破綻なくまとめられており、意匠的完成度も高い。
建設省国道に係る物件で初めての重要文化財指定



 日本橋の創架は、徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603)と伝えられています。 翌年、日本橋が幕府直轄の主要な五つの陸上交通路(東海道中山道奥州道中日光道中甲州道中)の起点として定められました。 江戸市街の中心に位置した日本橋は、橋のたもとの日本橋川沿いに活気ある魚市場が立ち並び、周辺に諸問屋が軒を連ねるなど、江戸随一の繁華な場所でした。
 現在の日本橋は、明治四十四年(1911)に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、都内では数少ない明治期の石造道路橋です。橋長49.5m、幅員27.5mの橋には、照明灯のある鋳銅製装飾柱を中心に和漢洋折衷の装飾が施されています。 中でも、建築家・妻木頼黄の考案に基づく麒麟東京市章を抱えた獅子のブロンズ像(原型制作・渡辺長男、鋳造・岡崎雪声)は、意匠的完成度の高い芸術作品といえます。なお、親柱に記された橋名の揮毫は、第十五代将軍・徳川慶喜の筆によるものです。
 また、附指定を受けた「東京市道路元標」は、昭和四十二年(1967)まで都電の架線支持柱を兼ねて日本橋の中央に設置されていましたが、現在は日本橋北西の橋詰広場に移設されています。なお、橋の中央には当時の内閣総理大臣佐藤栄作の筆による本国道路元標」のプレート(複製は北西橋詰)が埋め込まれています。



道の起点としての日本橋
日本橋は古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られている。慶長8年に日本橋が架設されて以来、火災などによって改築すること19回を経て、明治44年3月石橋の名橋として現在の橋に生れ変った。また日本橋から銀座にかけての中央通り一帯は近代的な街並で日本経済の中心地として今なお活況を呈している。


観光案内所



タイムカプセル
このタイムカプセルは、架橋125周年に当たる2036年開封されます。



日本橋橋詰の愛称
 日本橋の歴史は、慶長8年(1603) に家康の江戸幕府開府の際、 南北の交通路として木橋が架設されて以来、幾度の変遷を経て、現在の石橋が明治44年4月に完成し平成3年4月には80才を迎えました。
 これを記念し、 平成2年7月から平成3年5月にかけて広場の整備を行い、 平成3年5月には完成式典が行われました。
 整備にあたっては地域の方々の意見をもとに、日本橋橋詰を都心のオアシスとして、 人々の待ち合わせや地域の活性化になればと考え実施しました。
 この整備工事に合わせ 愛称を一般募集するとともに、その愛称を末長く親しんでいただくため、記念碑として保存することとしました。


東京市道路元票等




里程標



こちらも里程標


元票の広場



日本国道路元標
 日本橋は1603年に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。
現在の日本橋は1911年に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の親柱の銘板に刻まれた「日本橋」 及び 「にほんばし」の文字は最後の将軍・徳川慶喜公の揮毫によるものです。 1972年、日本橋中央の「東京市道路元標」がこの広場に移設・保存されました。 その据えられていた跡には、内閣総理大臣佐藤栄作氏(後にノーベル平和賞受賞)の揮毫による「日本国道路元標」が埋標されました。この複製も同時に制作・設置されたものです。 東京市道路元標は、1999年に米寿を祝う日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。











日本橋野村ビルディング(旧館)











◆双十郎河岸





明治四十四年四月三日に架橋されし第二十代日本橋が、本年百寿を迎えたるを記念し、此の地に往時の舟運と親水の賑わいを取り戻すべく桟橋を設けたり。開桟の行事に東西歌舞伎界の大名跡、江戸ゆかりの十二代目市川團十郎、上方よかりの四代目坂田藤十郎、両丈の船乗り込みを催す。よって此の地を俗称「双十郎河岸」と命名し、永く日本橋川の繁栄を期すると共に茲に碑を建てその由来を記するものなり。










◆名水白木屋の井戸



江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(西暦1711年)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを平成十六年(西暦2004年) ここに移設再現したものです。













続く。