2022/11/04 ぞうの鼻パーク



 象の鼻パークは横浜港発祥の地であり、横浜の歴史と未来を結ぶ象徴的な空間として、開港150周年を記念し整備されました。

開港波止場
開港波止場は港を感じることができる開放的な広場です。明治時代に港の荷役作業で使用された軌道と転車台の遺構が展示されています。

象の鼻防波堤
象の鼻防波堤は明治中期の姿に復元しています。 当時のガス灯を模した照明灯が設置されているほか、工事中に発見された関東大震災で沈んだと考えられる防波堤の一部を、そのままの形で保存・展示しています。

開港の丘
開港の丘はゆるやかな斜面の草地広場です。ゆっくり腰をおろして港の雰囲気を楽しむことができます。

象の鼻テラス
休憩施設である象の鼻テラスは、 文化観光交流の拠点としても活用しています

スクリーンパネル
象の鼻防波堤から象の鼻パーク全体を包み込むようにスクリーンパネル (照明) が整備されており、 港の夜景を彩ります。






◆車止め?

ゾウさんだね。






◆ぞうの鼻パークからの景色









◆煉瓦造2階建倉庫



 このレンガ積みの遺構は、税関施設の一つであった 「煉瓦造2階建倉庫」の基礎部分です。 倉庫は、明治中期から関東大震災までの間、国内外からの貨物の保管や検査のために使われていました。
 この倉庫は、 横浜正金銀行の建物 (現在の神奈川県立歴史博物館)をはじめ、 後に横浜の街に多くの建築を残した建築家の遠藤於菟が監督した建物で、 建設中の写真が残されています。
 象の鼻地区一帯はかつては横浜税関の敷地であり、税関の各種施設がずらりと並んでいました。 明治33年(1900)に発行された 「横浜税関一覧」という小冊子には横浜税関の沿革 組織、 業務内容、施設などが記されています。 その付図には、 明治18年 (1885) 建設の2代目横浜税関本庁舎、象の鼻防波堤基部にあった明治26年 (1893) 建設の税関監視部庁舎、 上屋や倉庫等の状況が記載されているほか、この緑地で遺構として一部が保存されている 「煉瓦造2階建倉庫4棟、 総面積 432 坪」 の記載もあります。






象の鼻地区の波止場



 象の鼻地区の波止場は、 時代とともにさまざまな愛称で親しまれてきました。 開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤で、 東側の突堤は 「東波止場」 と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積卸しに使用されました。西側の突堤は 「西波止場」 と呼ばれ、 国内貨物の積卸しに使用されました。
 元治元年(1864) 貿易量の増大に伴い、現在の山下公園中央付近に新たに 「東波止場」 が造られると、 象の鼻地区の2つの突堤を総称して 「西「波止場」 と呼ぶようになりました。
 フランス人建築家クリペによる 「横浜絵図面」には、 慶応元年(1865)当時の西波止場の姿が描かれています。 当時の水際線は、 現在の横浜開港資料館前の海岸通りの位置にあり、2本の突堤はそこから海に突き出ていだと考えられます。
 東波止場はフランス人居住区の前面にあったので 「フランス波止場」 とも呼ばれました。 明治2年(1869)、 象の鼻地区の前面にイギリス領事館 (現在の横浜開港資料館の所在地) が建てられると、 西波止場は「イギリス波止場」 とも呼ばれました。 西波止場の西側の突堤は、 国内貨物用だったので 「日本波止場」、税関の建物に近いので 「税関波止場」 とも呼ばれました。
 象の鼻パークでは、 西波止場の西側の突堤の位置を、 広場内の舗装パターンを変えることで表現しています。