2022/10/30 ヴェルニー公園


一緒に行った同僚と合流する前と後で一緒に巡ったのをこちらでまとめた。




◆公園から見えた艦船

左の正面を向いているのが「いずも」
右の左を向いているのが「ひゅうが」







◆戦艦陸奥主砲



戦艦陸奥1921年に横須賀海軍工廠で建造されました。
完成当時は世界7大戦艦に数えられ、 戦艦長門とともに連合艦隊の旗艦として活躍しました。 その主砲は41センチ連装砲4基で、射程距離は、現在設置されているヴェルニー公園から羽田空港あたりまで届くとも言われています。
戦艦陸奥の主砲は、ルートミュージアムのサテライト施設でもあります。

だいぶブレてしまった・・・・。







◆戦艦陸奥主砲弾

本砲弾は「長門」型戦艦の主砲で用いられた砲弾で、 九一式 (昭和5年制式化)もしくは改修された一式徽甲弹です。

●一般的徵甲弹とは
砲弾の重量及び発射速度による運動エネルギーにより相手の装甲を貫通した後、遅延信管が作動して内部を破壊するようになっています。

陸奥主砲と本徹甲弾
本重甲弾は、帽・被頭・弾体等で構成され、発射に用いられる装薬は通常4個の業卖T構成九合計量计的220kg。

●本徹甲弾の特徴
浅い角度で海面に突入するように発射された本徹甲弾は、頭部が外れ、
その後弾体(平頭弾)が水中を直進。 水線下の船体に被害を与えます。







◆ヴェルニー記念館



ヴェルニー記念館のデザイン
 ヴェルニー記念館は、 横須賀の近代化に貢献したフランソワ・レオンス・ヴェルニーに関わりが深いフランスのブルターニュ地方に建つ住宅の特徴を取り入れました。
 その特徴は、ドーマーウィンドー (屋根窓)、屋根に突き出た煙突、 急勾配の屋根や石造りの外壁です。
 フランス式の「ヴェルニー公園」とも調和の取れたデザインとしました。
 ヴェルニーはフランス海軍の技術者で、横須賀市姉妹都市ブルターニュ地方にあるブレスト市で造船技師を務めました。







◆総舵輪型サイクルスタンド



日本の近代化の歴史は、ペリーの来航によって開国の道へ歩みだします。その象徴である黒船の総舵輪をイメージして、このサイクルスタンドは作られています。






◆フランソワ レオンス ヴェルニー/小栗上野介忠順 銅像

フランソワ レオンス ヴェルニー 銅像

フランソワ・レオンス・ヴェルニー (1837~1908)
 フランス人の造船技師で、海軍増強をめざした徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所) 建設の責任者として 1865年来日した。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台
走水の水道の建設、 レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、 造船以外の分野でも広く活躍し1876年帰国した。


小栗上野介忠順 銅像

小栗上野介忠順(1827~1868)
 日本初の遣米使節をつとめ、 外国奉行勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、 フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所) 建設を推進した。 軍政の改革、 フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献したが、 大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解かれ、 領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)で官軍により斬首された。







◆記念石

小栗公が斬首された上野国権田村 (現在の群馬県倉渕村) 内の鳥川水沼河原の石。
昭和28年に当公園で行われた開港祭を機会に倉渕村から寄贈された。







◆開港碑

 横須賀市発展の礎をきずいた小栗上野介、ヴェルニーの功績を顕彰するため、昭和28年5月横須賀商工会議所が中心となり、小栗、ヴェルニー両氏の胸像と併せて設置された。







◆米軍基地側史跡案内


近代日本のルーツ 横須賀製鉄所

 世界遺産富岡製糸場のモデルとなった横須賀製鉄所 (のちの横須賀造船所) は、 現在のヴェルニー公園の対岸あたりに、 慶応元年 (1865年) の鍬入れ式から様々な施設が建設され、横須賀の街とともに発展しました。
 最新の加工機械などが導入され、 日本の近代工業の礎を築くとともに、 日曜休日制や労働時間、メートル法 、 健康診断などの新しい仕組みが横須賀製鉄所で始まりました。
 また、正面に見えるドライドックは、 当時は欧米先進国にも負けないものだったとされ、現在も現役で利用されています。
(左図は、 明治14年(1881年) 発行の「横須賀一覧図」で、当時の横須賀製鉄所の様子が描かれています。 当時の横須賀製鉄所は観光地であり、この図は観光客のお土産として配られていました。)


今も残る 「横須賀製鉄所」 のドライドック

ドライドックとは、艦船を修理するために使う施設です。 正面に見える3基のドライドックは、向かって右から第1号、第2号、第3号と並んでいます。
水面近くに「A」、 「B」 の文字がある鉄の板が見えますが、 それがドックの扉です。明治4年(1871年)に完成した1号ドックは日本最古の西洋式の石造ドックで、今も現役で使われています。


ドライドック  旧横須賀製鉄所

対岸に見える3基の石造ドライドックは、 1865年の横須賀製鉄所起工の際に建造されたもので、 右の第1号ドックは、1871年に完成したわが国最古のドックです。
近代的国家の建設を目指した明治日本の海運や海軍の発展に大きく寄与しました。
ドライドック (旧横須賀製鉄所)は、ルートミュージアムのサテライト施設でもあります。







◆よこすかカレーフェス


寿徳庵



美味しかった♪