2022/11/05 船橋散歩 04 習志野の森/下田園/御成街道石祠/大久保4丁目1号公園/大久保の庚申塔/京成大久保駅前/京成大久保駅

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/05/213000




習志野の森








◆下田園

落花生屋さんということで良いのかな?
落花生なら千葉の下田園







◆御成街道石祠

埋もれていた・・・・・。



最初床にあるのか全然わからなかった。



google mapのマークは上の写真のところあたり。
現地では祠の他に説明板などは確認できなかった。

東金御成街道(とうがねおなりかいどう)は、千葉県船橋市本町から同県東金市田間、同県山武市小松までの約37キロメートルをほぼ一直線に結んでいる街道である。なお東金市田間から山武市小松までの部分は砂押街道と呼ばれる。』
徳川家康東照大権現)が九十九里方面での鷹狩のために土井利勝に命じて、慶長19年(1614年)正月から数ヶ月間かけて元和元年(1615年)11月に完成した街道である。この由来により権現道という呼称がある。
至極短期間の工期で造られたとする伝承があり、沿道の村々の農民たちが石高に応じて駆り出され「三日三晩で造られた」とか「昼は白旗、夜は提灯を掲げて昼夜兼行で工事が行われ、一晩のうちに完成した」などの伝承から、提灯街道や一夜街道とも呼ばれる。
従来は慶長18年12月12日(1614年1月21日)に着工し、翌慶長19年1月7日(1614年2月15日)に完成したとされてきたが、梁瀬裕一によれば、実際は慶長19年(1614年)正月に着工し、数ヶ月間かけて元和元年(1615年)11月に完成したことが史料などから確認されるという。
なお、東金市田間から山武市小松までの部分は砂押街道、あるいは御成新道と呼ばれ、別のものかつ後から造成されたような印象を受けるが、実際には山武市小松までを含めた御成街道全体が同時に造成された[1]。道中には将軍が休息・宿泊する為の施設として船橋御殿(現・船橋東照宮)、千葉御茶屋御殿(千葉市若葉区御殿町)、千葉御殿(千葉市中央区中央)、東金御殿(現・千葉県立東金高等学校)、土気御殿(大網白里町池田)が造られた。千葉御茶屋御殿と千葉御殿は別の物件であり、現在の千葉市内には御殿が2ヵ所存在していた。 』
東金御成街道 - Wikipedia







◆大久保4丁目1号公園







◆大久保の庚申塔









京成大久保駅



パン屋さんかな?
調べてみたら「高級食パン専門店」とのこと。
あせる王様 | 食パン専門店







京成大久保駅

京成電鉄本線京成大久保駅








続く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※